
小説ベスト3(mihoyamana選)!!

1) 「カラマーゾフの兄弟」 ドストエフスキー

言わずと知れたロシア文学の最高峰。
長く難解な小説ですが、ひとつの物語の中に、人間が持つ全ての感情(喜怒哀楽・愛憎etc……)が描かれていると思います。
これほど感動というか、ショックを受けたというか……、読み終わった後の気持ちは形容しがたい。
読後に知ったのですが、作者のドストエフスキーは、この物語の続編を書くつもりだったようです。
しかし、叶わぬまま逝去。
言われてみれば、続きを感じさせるエピソードが含まれています。
別の物語としてでも、続きがあるはずだった。
その意味で、今残っているカラ兄(「カラマーゾフの兄弟」の略称)は完成形ではないと思います。
にも関わらず、人間が持つ全てを包含している。
「未完にして完璧」
そのひとことに尽きる。
わたしが持っているのは、旧訳の文庫です。
字が細かくて読みにくいの。
しかもロシア人はひとりで複数の愛称を持っているようで、同一人物の名前が作中でころころ変わる。
一応「△△△(〇〇の愛称)」など書いてあるのですが、登場人物も多すぎて
「誰だっけ?」と、すぐに迷子になりました。
途中から遡って確認するのも困難になり、話の流れで想像しながら読むしかないという、全神経と集中力を捧げて読み切った本です。
結構前になりますが、亀山さんという方が新訳を出され、劇的に読みやすくなりました。
登場人物の名前も統一されています。
最初に「(旧訳の)カラ兄」を読んだ後は、ことばにできない感動が押し寄せてきたのですが、新訳読了後は亀山氏の「カラ兄」に対する熱意と愛情に、感激したのを覚えています。
育児の間に読むような本じゃないかも知れませんが、生きているうちに読んでおいて損はない小説である、はず。
2) 「華麗なるギャツビー」 フィッツジェラルド

1920〜1930年代頃のロスト・ジェネレーション作家の代表、フィッツジェラルドの名作。
同時期に活躍した作家は、ヘミングウェイがおなじみでしょうか。
本作は、主人公ギャツビーの隣人青年の目線で書かれています。
ロストジェネレーションの小説って、「弱虫男のかっこつけ」という印象で、時々読んでてうんざりするのですが、第三者的立場で語られるギャツビーは、純粋でひたむきで儚いオトコです。
要は「成金男が好きな女を手に入れようと大枚をはたいて自滅する話」なので、ギャツビーの一人称で書かれたら「男ってバカだな」を再認するだけのような気もする。
「華麗なるギャツビー」「偉大なるギャツビー」などタイトルを替えながら、いろいろな人に訳されてきました。
一番近いものだと、村上春樹氏が訳した「グレート・ギャツビー」かしら。
何度も映画化されているはず。
わたしは、ディカプリオが主演した「華麗なるギャツビー」を観ました。
作中の衣装・ジュエリーなどにプラダをはじめとするハイ・ブランドが協力。
ディカプリオが衣装棚から服を、ヒロイン・デイジーに向かって撒いていくシーンがあるのですが、降り注ぐ上等な洋服、泣きたくなるほど美しいです。
夜ごと開かれるゴージャスなパーティーも、ともかくキレイ!
この映画は、賛否あるようですがよかったらどうぞ。
わたしは好きです。
3) 「キャロル」 パトリシア・ハイスミス

サスペンスの巨匠、パトリシア・ハイスミスが別名義で書いたレズビアンの恋愛小説です。
読んだ感想としては「恋愛小説」ではなく「女性の人生そのものを描いた傑作」。
肝心のハイスミスのサスペンス小説を読んだことがないのですが、本作にもその要素は見られ、話の展開もスリリングです。
19歳のアーティスト志望者テレーズと、美しい人妻キャロル(子持ち)。
ふたりの恋愛模様を読んでいると、「恋愛対象は男性」と当たり前に思ってきた自分を悔います。
恋愛は異性間でするもの・
魅かれ合うのは異性である……、その思い込みと刷り込みで、すごく魅力的な女性を、人生の中で見逃してきたかもしれないと思うと、悔しくてなりません。
恋愛や人間として魅かれることに、セックスやジェンダーは無関係なのだと、教えられた作品です。
あとですね。
以前にも書きましたが、LGBT(性的マイノリティ)の恋愛も、「子持ち不倫」の恋愛も、バッドエンドを迎えがちなのです。