3.11から10年。東日本大震災被災者が心から欲しかった物7選

2021/03/11
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Instagramでは毎日コンビニお得情報を発信し、半年で3万人の方にフォローして頂きました、サンキュ!STYLEライター「みず」です。
普段は、コンビニの情報を発信している私ですが、東日本大震災の被災者でもあります。
Instagramでも、定期的に備えについて発信してきましたが、今回は、私の実体験から皆さんにお伝えしたいことをお届けします。

10年前の私は・・・

2011年3月11日14時46分の出来事は、私にとって、忘れることのできない日なのですが、どうしても記憶が断片的な部分がある位、これが現実なのか夢なのか、今でもよく分かっていません。
当時は、生後間もない息子と一緒に、2歳の娘が保育園のバスで帰ってくるのを待っていました。娘のお迎えが済んで、ほっと一息つこうかと思った時の事でした。
地響きがして、何かに掴まらないと立っていられない程の揺れを感じ、家の中の物が「バタンバタン」と落ちてきたので、慌てて子供たちと外へ出ました。
こんな揺れを感じたのは、人生で初めてだったので、その状況も飲み込めないまま、茫然と立ち尽くして辺りを見渡していました。
すると、「大津波警報」という防災無線が鳴り響きました。
揺れは、一瞬止まったと思ったら、すぐにもう一度揺れて、止まっては揺れての繰り返しで・・・これは、ただ事ではないという事を、ものの数分で理解しました。

0才と2才を連れて小学校へ避難した時の話

家の中に戻ると、部屋の中は、ぐちゃぐちゃになっていました。
足の踏み場がないというのは、こういうことか・・・と、冗談を考える余裕もあるはずもなく、とりあえず必要最低限の物を持って、最寄りの避難所へ向かいました。
産後1週間ということもあり、子供を産んだ時に産院から貰った「お産バッグ」というものの中に、赤ちゃんのケア用品を一纏めに入れていました。(と言いますか、産後バタバタしていて出して無かったというのが正解です)
お産バッグには、おむつとミルク、着替え数枚、上の娘のお菓子を足して、2才の娘には、お出かけに使っていたリュックサックに、病院の待合室で待てるような退屈を凌げそうな物を何個か入れて、娘自身に背負わせました。
最寄りの避難所は、坂の上の小学校だったので、普段は歩くと10分ほどの距離でしたが、なんせ両手と背中に(正確には抱っこですが)大荷物を抱えてるし、雪は降ってるし、上の娘の歩幅に合わせながらだから、着くまで大変だったなと言う記憶が残っています。

小学校が避難所だとこうなる

高校のジム
junial/gettyimages

避難所である小学校に到着した頃、体育館には数名避難されている方が居ましたが、私たちは1番乗りのメンバーでした。
小学校の先生方も、生徒が下校したら帰宅されていました。先生から市役所の職員さんに、その場は引き継がれた様子でした。
一番乗りのメンバーだった私たちは、ペットボトルの水と毛布、カンパンを渡されて、その場で待機していました。体育館の床が冷たかったので、毛布は床に敷いて使いました。
その間にも、続々と避難してくる方がいて、あっという間に体育館はいっぱいになってしまいました。もちろん、物資には限りがあるため、貰えない人の方が多かったと思います。
動物と住まわれている方は、学校には入れませんでしたし、避難所のスペース自体も足りないために、校庭に車を停めて車内で避難されている方も大勢いました。
出入りが多いからか、開いている扉から風が入ってきて、とても寒かったですし、断水しているので、体育館のトイレから物凄い悪臭がして気持ち悪かったです。
皆さんの中にも、記憶に残っている方もおられると思いますが、余震がずっと続いていたんですよね。私たちは、バスケットゴールの真下に居たのですが、崩れて来ないかビクビクしていました。
余震が来るたびに「この学校は、耐震工事が終わっているので、安心してください」と市の職員の方がアナウンスしてくださり、心強かったです。
そんな状況ですから、携帯の電波も繋がらず、情報が全く入ってこず、外でどんな事が起こっていたかなんて、想像する事も出来ませんでした。
生後間もない息子と2才の娘を見るのに精一杯で、この一瞬をどうしようとしか考えられませんでした。

心から欲しかった物7選

防災グッズで「コレが便利」という物も世の中には沢山あると思いますが、私が心から欲しかった物はコチラです。

お水

噴出口の蛇口のクローズアップから液体を流す京都の浄化水の噴水
krblokhin/gettyimages

何万回でも言いたい、絶対に水を用意しておいて欲しいです。
雪を溶かして水にしたり、汚い湧水で洗濯もしました。トイレも何週間も流れず。
皆さんに、何か一つ伝えられるとしたら、絶対に水を用意しておいて欲しいと言うことです。
非常用トイレは、1日しか持ちませんでした。水を溜める物を必ず用意して欲しいです。

頼れる人

手をつなぐ若い男女の裏図
west/gettyimages

避難所にいた頃は、隣に知らない人がいて、レジャーシート1枚分のスペースに2才をじっとさせなきゃならなかったので、本当に大変でした。
生後間もない下の子もいるので、オムツ替えや授乳もありましたし。当時は、泣くことも許されるような状況でも無かったので、本当に辛かったです。家族がきてくれた時、本当に心強かったです。
ものではありませんが、私にとって、替えがたい存在でした。

食べ物

現代のキッチンにいる間、まな板に新鮮な野菜を刻む若い女性の手のクローズアップ - 免疫システムを高め、コロナウイルスを撃退するために健康的な食事を準備
Lyndon Stratford/gettyimages

とにかく無かったです。そして、あったとしても選べませんでした。菓子パンを買うのに7時間並ぶなんてことは平気でありました。食べ物が入ってくるという情報も、知り合いから教えてもらうため、今住んでいる土地で、万が一同じ状況なら、今の私は何もありつけないと思っています。そのため、長期保存可能な食糧だけは、沢山買い込むようにしています。

ガソリン

SPmemory/gettyimages

水や支援物資を運んだり携帯電話を充電する事ができる重要なのが車の燃料。
ガソリンも入手困難なので、たった10L入れるのに、6時間は並ぶこともありました。
災害に備えると言う点では、常にメーターの半分以上をキープする事をお勧めします。
暖や冷房を取れなくなるので、非常に貴重な存在です。ペットのいるご家庭は、優先度は高くなると思っています。
震災後にエコカーに変えられた方も多かったと聞いてます。

携帯の電波

スマートフォンを操作する女性
kazuma seki/gettyimages

なかった、繋がらなかったです。
基地局壊れてるから、そりゃ繋がらなくなりますよね。
混雑もあったと思いますが、携帯電話が使えるって本当に便利な世の中です。
夫と連絡が取れなかったですし、生きてるかも分からなかったです。
会えた時は、一生この人の傍から離れないと心に誓いました。

一人の空間

室内の居心地の良い雰囲気
morrowlight/gettyimages

狭い空間に沢山の人数で生活するため、心の休まる暇がなかったです。
特に避難所では、パーテーションも無かったですし、雑魚寝するような状態で、本当にしんどかったです。
今住んでいる地域では、ちょっとの大雨の時ですら、避難所がいっぱいで入れなくなるレベルなので、大きな災害が起きたら、殆どの方が自宅避難生活になると思います。
自宅避難生活を豊にするための備えが、重要になってくると思っています。

普段の日常

台所で描く女の子
maruco/gettyimages

これを取り戻すのに数年かかりました。これは、精神的なものも含めてで。
こうやって話せるようになったのも、やっと私の心が整理されてきたからなのかな?と思っています。
普段の日常が、いかに幸せだと言う事を改めて気付きました。

使わなくて良かったを感じる為の備えをしたい

防災用品は、使わなくなったものをどう処理するかという問題が出てくるかと思いますが、私自身、防災グッズを見直す際は、「使わなくてよかった」と思うようにしています。
使う時のことを想定して用意すると思いますが、この10年で使った防災用品は、懐中電灯位でした。
ほとんどは、時期をみて入れ替えて食べたり、飲んだりしてますが、その時に手間だなと感じることは、正直あります。
ですが、誰も災害が起きて欲しいと思ってませんし、「使わなかったから良かったよね」と感じる事が出来るって、本当に素晴らしいと思います。
もし、防災グッズを用意してみようかなと思っている方が居たら、本当に志が高いので、自信を持って出来ることから始めてみてください。
この記事を読んで、少しでも防災意識が高まっていただけたら、本当に嬉しいです。

この記事を書いたのは・・・みず

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