『誕生日=年を取る』から考えを改めたアラフォーの話
子どもの頃は誕生日によく不二家レストランに行った、サンキュ!STYLEライターのみたこです。
歳を重ねるにつれて、誕生日を心から喜べなくなっていた私ですが、とある出来事が、自分の誕生日について見つめ直すきっかけを与えてくれました。
家族の集まりでのサプライズ!
先日、父のお墓参りのあと、母と弟家族と私の家族で、実家に集まる機会がありました。
隣市に住んでいるとは言え、こうして集まるのは年に数回。独り身の母にとっては何よりも幸せな時間です。
母が用意してくれたちょっと贅沢なお昼を食べて、私が少し席を外して戻ってくると、そこには大きなバースデーケーキが!そしてそのプレートには『おたんじょうびおめでとう みたこちゃん(実際は本名。)』の文字が!
この歳になって『ちゃん』付けのプレートはこっぱずかしい気持ちにもなりましたが、それ以上に嬉しい気持ちがホクホクと湧いてきました。
義理の妹が用意してくれたケーキ
このケーキ、あとから母に聞くと、義理の妹が用意してくれていたとのこと。彼女は某有名ケーキ店で働いているのですが、そこの高級ケーキを頼んでくれたようです。
いつも「お姉ちゃん」と慕ってくれる彼女。ちょっと恥ずかしがり屋さんで、いつも私がベラベラと一方的にしゃべるのを静かに聞いてくれて、恐らく自分とは正反対のような義理の姉を、うるさそうな顔一つせずに受け入れてくれる彼女。
その彼女が、プレートを『お姉ちゃん』にするか、『みたこさん』にするか、はたまた『アラフォーさん』とジョークを交えるか、恐らくいろいろと悩んだ挙句に『みたこちゃん』にしてくれたのかと思うと、それもまた嬉しく思いました。
しかし、あとから義妹に聞いてみると、意外と「え?あ、ごめんなさい。何も考えてませんでした~」という答えが返ってくることが多く、これもまた彼女のかわいいところです。
(今回の件はまだ真偽を聞いていない。)
誕生日を祝ってくれる人がいるということ
アラフォーともなると、下半身太りや白髪、たるみなどが気になってきて、とにかく歳を重ねるのが恐ろしくなってきていたのですが、今回の件があって、『誕生日』というものを改めて考え直すきっかけになりました。
まず、誕生日を祝ってくれる人がいるということ。
祝う側にとっては、当事者が何歳になったのかなんてあまり関係ないし、もはや当事者が下半身太りやら白髪やらに悩んでいるなんて知ったことではなくて、「お誕生日はおめでたいことだからお祝いしよう!」という純粋な気持ちからお祝いしてくれているということを感じました。
歳をネタにして、「もうアラフォーなんておめでたくもなんともないよ~」と自虐的になるのではなく、お祝いしてくれる人がいることに心から感謝して、「ありがとう~!!」と笑顔で返せる私でありたいと思います。
誕生日を特別な思いで迎えている人がいるということ
そしてもう一人、私の誕生日を特別な思いで迎えている人がすぐ身近にいるということにも改めて気付きました。
サプライズバースデーケーキが登場した日の夜、私が生まれた日のことを母が懐かしそうに話しだしました。今は亡き私の父の、笑える話も交えながら。
何年経っても、子どもが何歳になっても、母は母であり、子は子であることに変わりはありません。子どもに生えてきた白髪を複雑に思いながらも、私が娘の誕生日にいろいろと思いを馳せるのと同じように、母にとって子どもの誕生日は特別なのだと感じました。
これからも喜んで誕生日を迎えられる人でありたい
いつしかあまり喜ぶこともなくなっていた誕生日。それでも「自分の誕生日忘れてた!」ということがなかったのは、周りから祝福の言葉があったからにほかなりません。
いくつになっても、自分の誕生日を素直に喜べる、そして、周りに感謝を伝えられる人でありたいと思います。