辛すぎた貧乏の過去。。
*ご訪問いただき、本当にありがとうございます*
引きこもりライターの森田法子です( ̄▽ ̄)
本日は少し重たい話になってしまうかもしれません。。
でも自分が節約をする事、
今の生き方には【こんな過去】があったのだと知っていただきたくて、書かせていただきます。
お時間ございましたら、読んでいただけると嬉しいですm(_ _)m
貧乏過ぎた過去。
『うちの家も貧乏よーー』
などと言う言葉が交わされる事はよくありますが、、
私の子供の頃の生活は、貧乏過ぎて周りから距離を置かれてしまうような、、
それくらいの酷い貧乏な生活でした。
ボロボロの家に住んでいたので、台風が来たら恐怖しかありません。
『台風で学校休みにならないかなぁ』
っとクラスの子たちが祈るなか、、
『学校なら建物が崩れる心配ないのになぁ、、』
っと全く違う事を考えて怯えていました。
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リコーダー、裁縫セット、彫刻刀など新しい教材の集金袋を渡されるのも苦痛でした。
絶対に買っては貰えないので。。
家にある錆びた彫刻刀、最低限の裁縫セットだったり、兄と共用のリコーダー、
からかわれる事も多々ありました。
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母の給料が出るまで10日くらい米が買えず、、半額の食パン生活、
お風呂が壊れた時には修理費が払えず1ヶ月以上ヤカンで湯を沸かして髪を洗ったり、
クリスマスや誕生日でも、何も買ってもらえないのが当たり前、
新しい友達が出来ても、自宅を見た瞬間距離を置かれてしまう事も。。
生まれてきた事に対して嫌気がさす事ばかりでした。
母の教え
このような状況を作った父に対して、
今も嫌な気持ちが消えていないのは事実です。
しかし、母がどんなに底辺な暮らしであっても、
礼儀に厳しく、
『何事にも感謝しなさい、
底辺である事は謙虚にもなれる。』
っと小さい頃から言い続けてくれたので、働き出してから転機がたくさんありました。
感動がいっぱい
底辺な暮らしに慣れきっている私にとって、
働くと言うことは感動がいっぱいでした!
高校からバイトをしていたのですが、
(全日制ですが低所得特別許可で)
教材購入、修学旅行など、
買えるのか、、行けるかのか、、?
っと不安しかなかった小、中学時代に対して、
『自分が働けば払える』と言う選択肢が出来て、本当に涙が出るほど嬉しかったです。
そして、厳しいバイト先だったので数日で辞める人も多く、
その中で3年間耐えられたのも今までの苦労が身を結んでくれたのだと感謝でいっぱいになりましたm(_ _)m
まあ、本当に厳しかったので( ;∀;)
←いっぱい!いっぱい!泣いた!
働く大変さ、母がほぼ休みなく働いてくれている事への有り難みも学びましたm(_ _)m
結婚して親に
夫と結婚して8年目。
夫は私の実家を未だに見たことがありません。。
小さい頃のトラウマで、、見せる勇気がありません。。
結婚前に唯一喧嘩になったのも、
家を見せたくなくてパニック発作のような症状を私が起こした時です。
中学以降の友人も誰一人私の家を知りません。
小学校からの親友だけは知っていますが、誰にも言わず秘密にしてくれていますm(_ _)m感謝
辛い記憶、心の傷は何年経ってもなかなか消せるものでは無いですね。。
親として、子供に私のような辛い思いは絶対にさせたくはありません。
でも、誰かを傷付けるような側に立って欲しくもありません。
『節約』をしていくことは、
何かしらの『我慢』や『忍耐』を学べます。
行き過ぎた事をするわけではありませんが、、
『羨ましがられる側』ではなく、、
『羨ましがる側』に立つくらいの暮らしが理想かな、、っと考えておりますm(_ _)m
色々な考えがあるので、これが正解というわけではありませんが(^^;)
満たされすぎると感謝を忘れ、
足りなさ過ぎると荒んでしまうので、、
良いバランスを作れる節約生活を送り、
ライターとして発信していけたらと思っております。
あまり節約テクニックなども無く(ー ー;)
学びの無い記事が多いですが、これからもよろしくお願いますm(_ _)m
*長々とここまで読んでいただき、本当にありがとうございました*
備考
◾️この記事を書いたのは、、
【森田法子】
サンキュSTYLEライター
元・サンキュトップブロガー
節約とインテリアが好きな引きこもり主婦( ̄▽ ̄)