濃厚接触者になったけれど私は負けない!1週間の待機と自宅内隔離生活
こんにちは。サンキュ!STYLEライターのdanngoです。
少し前、わけあって新型コロナウイルス陽性者と濃厚接触してしまい、子ども達ともども1週間自宅待機となりました。
家族を世話する母親が感染するわけにはいかないと必死だった日々、どんなことをして乗り切ったかお話しします。
陽性者は誰?接触の経緯は?
今回、陽性者と判明したのは私の夫です。
週末に入ってから体のだるさを訴えていたので不審に思いましたが、激務で疲れることがよくあるので自室で休んでいてもらいました。
翌日熱が出たと言っていたのでとにかく食事以外の時間は寝るように言い、ご飯ができたら起こしてリビングに。
少しおかしいなとは思いつつも、あまり警戒していませんでした。
さらにその翌日、夫は朝一番に病院に行き抗原検査で陽性に。
娘は腹痛で学校を休んでいましたが息子は登校していました。
夫からのメールを見て急いで学校に連絡し、息子を引き取りに行きました。
幸い、給食の前の時間だったので他の児童との接触は少なめでした。
とにかく発症したくない!心がけたこととは
夫からの第一報を受けてまず私の頭に浮かんだのは「詰んだ」の3文字でした。
具合が悪くなってからほとんど寝ていたとはいえ、夫は家族と一緒に食事をしていましたし、タオルやコップも共同で使っていたからです。
でもその直後に「希望はある。今からでもできることはある」と思い直しました。
まずは夫に自分の部屋から基本的に出ないよう伝え、タオルやコップを別に。
食事はトレーにのせて夫の部屋の前に置き、後で夫自身がそれを部屋の中に持って行って食べるスタイルに。
夫の検査日の翌日、人を避けながら朝一番に7千円以上の食材を買い込んでいたものの、それから4日間は買い物なしで過ごしたので大変でした。
途中でいつか参考になる日が来るかもと簡単に夕食の写真だけ撮るようにしたのですが、その一部が上の写真です。
栄養バランスを考えつつ、病人でも食べやすく野菜も肉も食べられるようにと煮物をメインに。
熱が下がってきてから、焼魚も出すようになりました。
私も同じメニューをしっかり食べました。
朝食や昼食も手抜きはせず、栄養がとれるように考えて食べていました。
夫が感染した理由には、激務による疲れと、落ち着いて食事ができなかったことによる栄養不足が関わっているのではないかと思ったからです。
睡眠も、いつもより多くとるようにしていました。
夜の11時くらいに寝て、朝の7時に起きるスタイル。
睡眠時間確保のためパソコンやスマートフォンは遠ざけ、コロナ関連ニュースの検索もしませんでした。
子ども達はどうしていた?
子ども達は1週間学校を休んでいたので、ずっと家にいました。
息子はストレスがたまるのか、急に泣きだしたり怒りだしたり。
朝早く登校児童が出払った頃を見はからい、誰もいない公園で30分程度遊ばせるように。
かるた、オセロ、UNOなどの2人でできるもので仲良く遊んでいる時は、子ども達が天使に見えました。
さすがにマンネリになるので、家事の合間にかくれんぼなどの遊びにつきあうことも。
途中から切り紙にはまり、3日くらい続けたところ作品の小さな山ができていました。
買い物に行けないのでお菓子も買えず、途中からホットケーキを焼いたりゼリーをつくったり。
宿題もしっかり出ていたので、午前中は勉強をみて朝10時におやつ、お昼ご飯が終わったら遊びにつきあい、3時のおやつ……となかなかの過密スケジュールでした。
頑張りすぎず投げやりにならない
感染対策に関しては、手洗い、アルコール消毒、食器の熱湯消毒、スポンジは電子レンジで殺菌など気をつけられることだけしていました。
強力な消毒薬などあれば安心できるのかもしれませんが、やりすぎて疲れはてるのも嫌でした。
体力は温存し、基本的な対策をやることにしました。
今回陽性になった夫は家族で最も用心深く、神経質なまでに感染対策していたにもかかわらず罹患したので、大切なのは病気への抵抗力だと思ったのです。
幸運にも、私と子ども達は熱を出すことなく1週間で待機期間を終え、夫もその後すっかり元気になり勤務を再開しています。
「私、頑張った」という自己満足の記録ですが、少しでも誰かの参考になれば幸いです。
◆記事を書いたのは・・・danngo
中高国語科教員免許を持つ、活字中毒気味のアラフォー。高学歴・高血糖・高齢出産の三高ライター。「家事は化学、子育ては文学」を信条としている。