夫婦二人(+お腹の子)で乗り切った、突然の出来事

2023/09/18
  • 贅沢気分を味わえる新しい節約術を提案する、元証券会社、現不動産会社勤務の資産運用大好き主婦 もっと見る>>

こんにちは。元証券会社勤務、外資系を経て不動産会社勤務、現在育休中のサンキュ!STYLEライターこまちです。

これからお話するのは、私の体験談です。ちょっと少し悲しいお話だったりしますので、よろしければお付き合いください。

妊娠中の急転直下の出来事

それは去年の上旬、あと数日出社したら産休という頃でした。猫とソファーに居ると、「家族みんな揃ったね。伝えないといけないことがある。」と、主人が話しだしました。

「母なんだけど、癌が見つかって、もしかしたらあと数カ月かもしれない。」と。

頭を後ろから殴られたような衝撃、こういうことを言うのかなと、びっくりして言葉が出ない。
私と義母は大の仲良しで、面白くていつも私のことを応援してくれる義母のことが、私は大大大好きでした。
あと一か月もしたら、待望の初孫を見せることが出来ます。義母がずっと会いたかった女の子の赤ちゃんです。サプライズで妊娠を発表した時も、漫画みたいなリアクションをしてくれました。検診の度にエコー写真を見せたりして、我が家はお祭りムード。義母と娘と一緒にお茶をすることが私の夢でした。

入院しても、いつものように元気いっぱい冗談を言ったりと、明るい様子を見せてくれていた義母も、次第に弱弱しくなっていきました。
あと数週間頑張れるかどうか、、、主治医からの言葉に、絶望する私達。主人は気丈にふるまい、義母の兄弟姉妹を呼んだり、最後に連れていけないかと、旅行の計画を主治医に相談したりと奔走していました。

残された時間は少ないかもしれないけど、寄せ書きを書いて渡そうかと主人から提案があり、その日は色紙を買いに近所の文房具店へ行っていました。そんな中、主人から着信が。「急変したみたいで、これから病院に向かう。」と。

大急ぎで病院へ行くと、なんとか呼吸をしながら私たちの到着を待っていた義母。もう、私達と会話をすることはできません。こちらからたくさん話しかけて、「明日検診だから、また写真見せに来るからね!」と伝えて病室を出て、歩いていたらまた病院から着信。脈が弱まってきていると。
すぐに駆けつけると、義母は既に旅立っていました。

これが一か月の間で一気に起こりました。夏まで頑張れるなら、なんとか孫の顔を見せられるかなと思っていましたが、叶いませんでした。

電車やバスで泣いてしまう日々

結婚してすぐに出産していたら、おばあちゃんとしての日々を過ごしてもらうことが出来たのに、私ったら自分の仕事を優先して、何やってたんだろう。毎日毎日、同じことを考えて、悔やんでも悔やみきれずにバスの中などで泣いてしまう。あと2週間程で出産予定日でしたが、もうあと数日かもしれないと言われた時、なんとか出産を早められないか本気で考えたり、とても冷静ではなかったですね。一目でいいから見せてあげたい、その気持ちでいっぱいでした。叔母達から、そんなこと考えなくていいの!自分と赤ちゃんを大切にしなさい!と言われても、でも、、、となってしまったり。でも、病魔は母の最期の願いも叶えさせてくれませんでした。

おばあちゃん、頑張るからな!って、私のお腹を撫でながら赤ちゃんに話しかけてくれた義母でしたが、きっともう力なんて残っていなかったのに、最後の最後まで、家族に心配かけまいと気丈に笑顔を見せていたのだと思います。

喪主夫婦をやりきって

主人は、母一人子一人の家庭で育ちましたから、喪主は主人です。義母の親族の助けも借りながら、なんとか2人で通夜葬儀を執り行い、義母を見送ることが出来ました。
都会育ちの主人に対し、田舎育ちで小さいころから冠婚葬祭への参列経験の多い私。ご近所や親族の葬儀の経験で、なんとなくだけど、流れが分かっていました。母の親族や友人への連絡(友人から友人へと連絡をしていただくようお願いしました)、それから葬儀会社への連絡と、絶望の中、やらないといけないことに奔走しました。
通夜葬儀では、葬儀ディレクターの方がしっかりとサポートしてくれたので、大きな流れで分からなくなることはありませんでしたが、細かい動きや参列者への応対など、田舎育ちを発揮して、主人をサポートすることが出来たかなと感じています。

明るかった義母を明るく見送ろうということで、控室で生前の写真や動画を編集したムービーを流したり、母が友人達と撮った写真をアルバムに入れて、参列いただいたその友人達に見てもらったりして、『悲しいけれど笑顔のある式』を行うことができました。

天国の義母に見守られて産まれた娘と

偶然と言われたらそうかもしれませんが、火葬場で義母に最後のお別れを言った直後、娘が激しくお腹を蹴りました。それはそれはハッキリと、これまでで一番じゃないかという強さでした。私しか感じることが出来ないものだけど、「おばあちゃん、バイバイ!」って伝えたかったのかなと、今でも思っています。

葬儀から約2週間後、元気な娘が産まれました。陣痛に泣き叫ぶ私の事も、一生懸命出てこようとする娘の事も、一人で待ち続ける(コロナによる制限の為)主人の事も、みんな無事で居られるよう、義母がずっと見守ってくれていたと思います。そんな娘も1歳になり、最近では仏壇の「おりん」も、私と一緒に鳴らすことが出来るようになりました。義母も喜んでいるでしょうね。
先日のお盆では、迎え火送り火もしました。そこでまた不思議なことが。送り火の際、私達家族の真横を、蝶々が勢いよく羽ばたいていきました。主人も見ていて、どちらからともなく、「あ、おかあさんだね。」と口にしていました。私帰るわよ~ありがとね~って言いに来たのでしょうね。

また来年も来てくれることを楽しみに、これからも毎日明るいこまち家を守っていこうと思います。

▼▼▼記事を書いたのは・・・こまち
証券会社出身の1児の母。外資系企業人事部、不動産会社に勤務。都心駅近に新築一戸建てを保有。ケチケチ節約が苦手なので、”お金と仲良く過ごす”ことを大切にしています。

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