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たった一度だけおいしかった給食が原点⁉食育インストラクターが忘れられない「思い出の味」とは

2024/07/01
  • 気象予報士として講演・執筆を行うかたわら、野菜たっぷりの作り置き料理を代行する出張料理人としても活動中。野菜ソムリエ、食育インストラクター、薬膳マイスターなどの資格や、東北~関西まで各地に住んだ経験から、健康や美容にうれしい食材や、いざという時に備える災害食にも詳しい。 もっと見る>>

野菜ソムリエ・食育インストラクターの資格を持つサンキュ!STYLEライターの植松愛実です。

みなさんは、学校の給食で思い出に残っているものはありますか?
そもそも給食の記憶は、「楽しい」だったでしょうか。それとも「つらい」だったでしょうか。

今回は、私が「食」に関する仕事をすることになった原点のひとつである、小学校時代の給食の思い出をふり返ります。

臭いと色が似ている…

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私が通っていた公立小学校は、とにかくお世辞にもおいしいとは言えない給食が提供される地域にありました。

私と同じくアラフォー以上の世代の人は、昭和の時代に行われていた「残飯養豚」をご存知かと思いますが、人が食べたあとの残飯を豚に与える際、現在では法律で義務付けられている加熱などの処理がかつては不要で、「そのまま」混ぜただけで与えることがよく行われていました。
私は小さい頃に地元の牧場でその現場を見たことがありますが、小学校の給食は、ちょうどその臭いと色にそっくりでした。

もちろん、当時の給食費は私が育った家庭のような低所得者層でも毎月支払えるくらいの額でしたから、それで必要カロリーを摂取できるものを用意してもらえるだけでもこのうえなく有り難いことで、今思えば味についてとやかく言わずに深く感謝して食べるべきだったのです。
しかし私はあまり賢い小学生ではなかったので、とにかく「つらい」ということ以外考えられず、毎日のように給食を吐き戻していました。

時代変わればコトバも変わる

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私は給食を無理やり食べきってからあとで吐き戻すスタイルでしたが、中にはどうしても食べきれない子もいます。するとアラフォー以上のみなさんはご存知のとおり、給食後の清掃時間中に食べ続けさせられるシステムが発動します。

清掃中、舞い上がるのはただのチリ・ほこりではありません。小学生がトイレで汚した上履きで踏み鳴らした床から舞い上がるチリ・ほこりですから、数多の菌やウイルスが含まれています。

そういった最悪の衛生環境の中、子どもがどれだけ精神的苦痛を感じようが、どんな食物アレルギー反応が出ようが、最後の一口まで食べさせることを、当時は「教育」と定義していました。
ちなみに現代では「虐待」と呼びます。

たった一度の「おいしい」

雨

小学6年生だったある日、台風の影響で給食センターからのトラックが学校に到着できない、という事態が発生しました。そこで提供されたのが、備蓄品のレトルトカレーです。

業務用の、メーカー名も商品名も書かれていない銀色のパウチが配られ、自分で開けてアルミ皿に入れて食べました。そのカレーの、おいしいことと言ったら…!

まさか自分が小学校生活のなかで「おいしい」という言葉を口にする日が来るとは夢にも思っていなかった私は、何度も何度も嚙みしめながら、天にも昇る気持ちで味わいました。

あまりの感動に、「毎日台風が来たらいいのに」などと罰当たりなことを考える始末。ちなみに、9歳~12歳ごろの味に関する思い出というのはその人の嗜好(食の好み)に強く刻まれることが科学的にわかっていますが、実際に今でもカレーは大好きです。

もっと大変な給食

長野県下條村
筆者の父が生まれ育った山あいの村(筆者撮影)。昭和20年代に生まれた父は、戦後日本の貧困を生き抜いた。

罰当たりな私の話で終わるのも後味が悪いでしょうから、お口直しに「もっと大変な給食」の話を。
それは、食べるのが大変な給食ではなく、食べるまでが大変な給食です。

私の父が育った田舎では、月々の給食費が30円だったのですが、貧しい農村では30円という現金を払える世帯は多くありません。そこで、現金が払えないおうちの子は、現物納が認められていました。
じゃがいも・玉ねぎ・にんじんのうち、どれでもいいので2kg、学校に持っていけばよいのです。

しかし想像してみてください。通学路は激しいアップダウンが2~3kmも続く山道、いくらふだんから農作業で鍛えられているとはいえ、10歳になるかならないかの子どもが2kgの荷物を持って歩くのです。

まさに"食べるまでが大変な給食"。その労苦を思えば、給食がまずいくらいのこと、取るに足らない話です。

食材に非はなかった!

私の地域で出された給食には、なぜかうずら卵ときくらげと片栗粉が多用されていました。
おそらく安価に栄養を取らせるために都合のいい食材だったのだと思いますが、とにかくひどい味に調理されていたので、うずら卵もきくらげも片栗粉も大嫌いになりました。

ところが大人になって知ったことには、別にうずら卵やきくらげや片栗粉を使って料理をしても、おいしいおかずを作ることは可能なのです。

食材に非はなかった。これは私にとっては大きな衝撃でした。
その衝撃はもしかしたら、食材をおいしく食べるためのお手伝いをするという食育インストラクターの仕事につながっているのかもしれません。
おあとがよろしいようで。

■この記事を書いたのは・・・サンキュ!STYLEライター植松愛実
身近な食材でできる時短作り置き料理やパーティー料理、簡単に彩りを増やせる料理のコツや、いざという時に備える災害食まで、「食」に関する情報を発信。また、東北や東海、関西にも住んだ経験から、各地の伝統的な食材にも詳しい。野菜ソムリエ、食育インストラクター、気象予報士など保有資格多数。

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