何もしないぜいたく……「何かしていないと不安」から抜け出そう
こんにちは。サンキュ!STYLEライターのdanngoです。
何かと忙しい現代人の生活。
専業主婦であってもワーキングマザーであっても、やらなくてはいけない何かに追われていることが多いはずです。
ぽっかり空いたすき間時間ですら有効活用すべくやるべきことを探しがち。
それでいいのでしょうか?
「何かするぜいたく」より「何もしないぜいたく」を
昔であれば、たくさんのごちそうやお酒、歌や踊りなどの演芸を楽しむことなどが典型的なぜいたくだったでしょう。
現代では価値観が多様化しおいしいものや娯楽が簡単に手に入るようになったことで、そういったぜいたくはむしろ少数派になっているかもしれません。
テレビやスマートフォンの電源を入れれば刺激的な映像がたくさん目に飛び込んでくるのですから、あえてそこから離れ「何もしない」のがぜいたくのような気もするのです。
何もしないともったいないと感じてしまう悲しい性
電車に乗ると、座っている人はたいていスマートフォンをのぞきこんでいます。
ぼんやり車窓を眺めるという選択肢もあるはずなのですが、そういう人はまれ。
きっと必要にせまられてスマートフォンを操作しているのではなく、何もしないのがもったいないと感じてしまうからなのではないかと思います。
変化が激しく、なすべきことが多くなりがちな現代では仕方ありません。
主婦の私でさえ、運よく自由時間ができると何かせねばと動いてしまいがちなのです。
この文章を執筆している日の午前中など、子どもを学校まで送る→皿洗い→買い物→掃除→洗濯物を取り込む→昼食のしたくなどと動き回っていました。
家事の合間に学校行事に関する準備や簡単な片づけもこなし、ゆっくり落ち着くことはなかったように思います。
その影響は夕方になってから、頭痛という形であらわれました。
子ども達がボードゲームで遊ぶかたわらで30分ほどぐっすり寝込んだ私。
さいわい回復しましたが、何だか損をした気分でした。
「何もしない」ための工夫
具合が悪くなって寝込んでしまう30分と、具合が悪くなる前に意識してゆっくり休む30分。
どちらが有意義な時間かと言えば、後者ですよね。
何もしないようにするためにまずすべきなのが、スマートフォンとテレビのリモコンを遠ざけること。
情報がなければ、「何かしなければ」と心乱されることが少なくなります。
子どもが散らかしたおもちゃが目に入るようなら、部屋のすみに押しやるか見えない場所に行くかしましょう。
やらなくていいことはしなくていいのです。
あとはのんびり紅茶かコーヒーだけいれて、ただ座ってぼんやりします。
ぼんやりしているはずなのに頭がすっきりするという、不思議な現象が起こることも。
どうしても何かを見たくなった場合、『サンキュ!』の誌面の素敵な部屋の写真があるページを広げて遠目で見るようにしています。
それでも家にいると、「やはりこうしてはいられない!何かしなくては」と思い始めてしまうことが。
時には、家から出てしまうことも必要。
物理的に家から距離をおけば、家事はできません。
私は近所の古民家や庭園などにふらりと立ち寄り、ただ座って花を見つめたり、好きな風景を写真に撮ったりしながらのんびりすることがあります。
子どもがいる休日でも、遊具のある自然公園に行って夫に子どもを見守ってもらえば、無の境地にいたることが可能です。
人生を一冊の本にたとえるなら、何もしない時間は余白。
余白があるからこそ、書いてあることがはっきりと読めるのです。
そう考えると、ただぼんやりするのも悪くないと思えてきませんか?
◆記事を書いたのは・・・danngo
中高国語科教員免許を持つ、活字中毒気味のアラフォー。高学歴・高血糖・高齢出産の三高ライター。「家事は化学、子育ては文学」を信条としている。