生きづらさを感じる二児の母が子どもと話す時に使う言葉
こんにちは。サンキュ!STYLEライターのdanngoです。
私は小さい頃からなんとなく、「自分とは周囲と違うダメな人間」という意識を持ちながら生きてきました。
今でこそ人と違うことを個性としてとらえられるようになりましたが、我が子に同じ思いはさせたくありません。
子どもの人格を尊重するにはどうしたらいいか考え、意識するようになった話し方をお伝えします。
話す時に「主語」をつける、それだけ
私が大人になった頃、「自己肯定感」という言葉をよく耳にするようになりました。
自分が自分のままでOKであるという感覚が大事なのだと聞くのですが、なかなか理解が及びません。
私の小さい頃にはそんな概念なきに等しかったのです。
いわば競争社会。学校の成績、友達の多さ、ピアノのうまさなど全てが比較対象。
私の親も何かにつけて自分の子と他人の子を比べる癖がありました。
「こんなこともできないあなたはダメだ」というメッセージを嫌というほど受け取って、自己肯定感など育つでしょうか。
我が子にはつらい思いをさせたくないと、最初はとにかくほめるようにしていました。
でもどうしてもほめてはいけない場面はありますし、ほめすぎるのも良くないという意見も耳にします。
頭ごなしにしかってはいけない、どうすれば……と試行錯誤していくうち、話す時に「主語」をつけるだけで子どもの人格を否定せず注意できることに気づきました。
「やめなさい、悪い子ね」ではなく、「それはやめてほしい、後でお母さんが困るから」。
「靴がそろっていないよ、だらしない」ではなく、「靴がそろっていた方がお母さんは助かるけど」。
話す時、それが自分の感情なのか客観的な事実なのか、まずそこをはっきりさせることが大事であるようです。
主語があれば冷静になり、正確に伝わる
数日前のことです。
息子がおみくじつきキーホルダーで遊ぶのにいきなりはまり、何十回とおみくじを引いて「大吉出た」などと喜んでいました。
それ自体は悪いことではないですが、キーホルダーについている鈴の音と中に入っているくじがかち合って鳴るキンキンという音が耳障りでなりません。
目の前に広げた新聞の内容が理解しづらくなり、頭も痛んできました。
「うるさい、いつまでやってるの」と言うのは簡単です。
ただそこには「私」の存在が感じられません。
考えてこう言いました。
「お母さん、その高い音苦手だな。頭が痛くなる。悪いけど隣の部屋で扉を閉めて遊んでくれるかな」
息子はだまってすぐに隣の部屋に行き、言われたように扉を閉めて遊び始め、一気に頭痛はおさまりました。
「うるさい」だと、客観的な事実のように感じられ相手を否定するニュアンスが出てしまいます。
理解力の低い息子は、否定されたと感じると急に泣き出したり怒り出したりすることも。
「お母さんは高い音が苦手」という言い方なら母親の主観であることがすぐにわかり、その後の「隣の部屋で遊んで」という要望が素直に受け入れやすくなるようです。
主語をはっきりさせて話すことは、自分の感情と相手の存在を切り離す行為であり、相手と同時に自分も守れます。
国語の授業では主語を明確にすることが求められるため、教育的な面からも主語をつけて話すことが大事。
常に意識することは難しいかもしれませんが、何回かやるとすぐ慣れます。
つい感情的にしかってしまいがちな人に、おすすめしたい方法です。
◆記事を書いたのは・・・danngo
中高国語科教員免許を持つ、活字中毒気味のアラフォー。高学歴・高血糖・高齢出産の三高ライター。「家事は化学、子育ては文学」を信条としている。