中高生時代はずっと女性が好きでしたが何か問題でも
こんにちは。サンキュ!STYLEライターのdanngoです。
今回は私が中高生の頃の話をしたいと思います。
中高一貫の私立校に通っていた間、私が好きになったのは一回り以上年の離れた女性教師でした。
そのことに悩み、乗り越えていった過程の記録です。
出会いは中2。見た瞬間衝撃が走った
中学2年生から、古文の授業が始まりました。
「古文ってどんなことするのかな」くらいにしか思っていなかった私。
戸が開いてさっと先生が入ってきた時、衝撃が走りました。
「なんて美しいのだろう」と。
春風の精か、天女の化身か……。
先生は明るく優しい人気者でした。
少しでも気に入られたい、先生の言ったことを一言一句聞き逃すまい、そう考えて必死に授業を受けました。
授業の前には、当番でもないのに黒板を完璧に掃除。
それまでの得意科目は理科でしたが、あっという間に古文の成績が学年トップクラスになっていました(他の教科はからきしでしたが)。
自分が異常であることに気づいて悩んだ日々
中学生の頃までは、自分が女性を好きになったことについて「人間が人間を好きになることになんら問題はない」となぜかポジティブに解釈していました。
高校生になったあたりで、友人達がレズビアンの話を面白おかしく話すのを聞き「これは異常なことなんだ」とふと思ったのです。
「自分は存在してはいけない」という考えにとらわれ、死にたいという衝動に駆られたことがありました。
カッターの刃を手首にあててみたり、マンションの最上階から下をのぞきこんだりしましたが、それ以上のことはできませんでした。
自分が死ねば自分の愛する人が間接的に自分を殺したことになる、それは違う、となんとなく思ったのでしょう。
私は先生が教えてくれた古文を一生懸命勉強することに注力することにしました。
高校生になると古文の担当教師は違う人になっていましたが、それでも成績は保ち続けました。
学校にいる時は文法書を熟読し、休日は図書館に行って古典文学の全集を借りて読み続けました。
学年トップクラスの古文の成績を武器に、なんとか志望校の大学に合格。
最後に大好きな先生に会ったのは、卒業式の数日前のことです。
友人達と廊下を歩いていたらたまたま先生に会い、軽く立ち話をしました。
先生は私達の進路が決まったことを喜んでくれました。
「それじゃ」と先生が立ち去り、10メートルほど先の廊下の曲がり角で軽く振り返った瞬間、私は手を振りながら「大好きだ―」と叫びました。
それが精一杯の私の告白でした。
大学時代の男友達が視点を変えてくれた
大学生になり、「もう先生のことはきっぱり忘れてしまおう」と思った私。
誰かを好きになることはもうない、一生1人で生きていくのだろうという気持ちでした。
新しいことを始めようと思い、たまたま興味があった馬術部の見学に。
入部すると同学年の男子部員が4人いて、「男がいるなんて嫌だなあ」と思った私は彼らを邪険に扱いました。
それでもめげずにいろいろなことを聞いてきたり好きなことを話したりする同輩の姿を見ているうち、悪い人ではないなと気づき始めました。
彼らは自分の好きなことにまっすぐで、純粋な少年達だったのです。
いつの間にか、私は男性を好きになることができるようになっていました。
もう42歳。隠すことに罪悪感を覚えるなら……
先日私は42歳の誕生日を迎えました。
私が『サンキュ!』の公式ブロガーになったのは36歳の時。
今はライターとなり、6年近くサンキュ界隈をうろついていることになります。
女性が多く関わるメディアで、「一時的ではあるが女性に恋をしていた」という、恐らく大半の女性が嫌悪感を覚える事実を隠すことにはずっと抵抗がありました。
「42歳になったらこのことを書こう」と心に決めたものの、誕生日に執筆を開始してからというもの、書くたびに心をナイフで突き刺すような痛みを感じてしまいます。
今まで誰にも話していなかったつらい過去、思い出すだけでも苦痛なのです。
「無理」と思って何度もパソコンを閉じ、執筆は遅々として進みませんでした。
中学生の頃、先生からもらった返事の年賀状を今でも私は捨てずに持っています。
修学旅行の写真などは思い切って処分できたのに、これだけは捨てられないところをみると完全に忘れることはできないようです。
この記事を読んで、離れていく読者がいるかもしれません。
インスタグラムのフォロワー数も激減する可能性があります。
それでも書かないで後悔するよりは書いて後悔したいと思った、記事の執筆の動機はそんなところにすぎないのです。
◆記事を書いたのは・・・danngo
中高国語科教員免許を持つ、活字中毒気味のアラフォー。高学歴・高血糖・高齢出産の三高ライター。「家事は化学、子育ては文学」を信条としている。