ら抜き言葉って結局何?文法の基本をおさえてきれいな日本語を

2023/05/25
  • 二児の母。塾講師、学校教師の経験あり。甘いものと日本の古いものをこよなく愛しております。もっと見る>>

こんにちは。元国語教師として文法の授業を何度となくやっていたdanngoです。
文章を書く時に気をつけようとよく言われる「ら抜き言葉」。
なんとなくわかっているつもりでいても、無意識に使っていることはよくあるものです。
そもそもら抜き言葉とは何なのか、どうして存在するのかを文法的に解説します。

助動詞「れる」「られる」が関係する

ら抜き言葉について知るために避けては通れないのが、助動詞「れる」「られる」の存在。
動詞の未然形に接続し、受身、可能、自発、尊敬の意味をあらわす助動詞です。
たくさん意味があってややこしいのですが、もともとは自発の意味しかなかったとされています。

「私はあなたのことが思われる」と言えば自発ですが、考えようによっては可能にも取れます。「あなたが思われる」なら受身になりますね。
さらに、高貴な人の動作はあまり直接的に表現したくないという意識が働いたため、尊敬の意味も生まれました。
「先生が走る」より「先生が走られる」のほうが、能動的に走ったという感じが弱まり自然とそうなった雰囲気がでてやわらかい表現になると考えたのです。

「れる」と「られる」は接続する(くっつく)動詞の種類が違います。だから同じ意味なのに2つの形があるのです。
「れる」は五段活用、サ行変格活用の動詞に接続します。
五段なら「行かれる」「打たれる」など、サ変は「される」「封鎖される」といった形になります。

「られる」がつく動詞は3種類

助動詞「られる」がつく動詞は上一段活用、下一段活用、カ行変格活用の動詞の3種類。
まれに「謁見せられる」といった形でサ行変格活用動詞に「られる」がつくことがありますが、これは古風な用法で近年あまり見かけません。
上一段は「見る」「着る」など、下一段は「食べる」「捨てる」など、カ変は「来る」1語のみとなっています。

これらの動詞に「られる」が接続すると、「見られる」「着られる」「食べられる」「捨てられる」「来られる」といった形になります。
ここから「ら」を抜いて「見れる」「着れる」「食べれる」「捨てれる」「来れる」と表現すると「ら抜き言葉」となるわけです。

なぜ「ら」が抜かれるようになったのか

ら抜き言葉は言葉の乱れの代表格として扱われることが多いように感じます。
ただ、文法的な面から考えると、「ら」を抜くのには必然性も感じられるのです。
というのも、「見れる」などのら抜き言葉にすると、意味を制限することができるから。

最初に説明したように、「れる」「られる」には受身、可能、自発、尊敬という4つの意味があります。
自然発生的に4つの意味にわかれてしまったので、なんとなく使うと「これは受身?いや可能?」などと相手が混乱する事態もありえます。
そこで理解しやすいように「可能の意味の時は『ら』を抜いて表す」というルールがいつの間にかできてしまったというわけです。

それならば、「ら抜き言葉をどんどん使うべきなのか」と言われそうですが、そういうわけでもありません。
結論から言えば、日常会話でら抜き言葉を使うのは問題なく、あらたまった場で話す時や文章に書きのこす場合には使わないのがのぞましいです。
というのも、会話は録音しないかぎり話したそばから消えてしまうからです。
録音されることがまずない日常会話では、わかりやすさが優先されてしかるべき。

逆に文章にしてのこすなら、何度でも読み返せるのでら抜き言葉にせずとも意味を取り違える可能性は低いのです。
こういった理由から、ら抜き言葉を文章に使うとカジュアルな印象がでてしまいます。
日記ならばともかく多くの人に読まれる場合にはふさわしくありませんね。

ここまで読んで「やっぱり難しい」と思った人もいることでしょう。
校正ツールに頼ってもいいので、とりあえず文章表現にら抜き言葉を使わないようにしてみてほしいなと思います。それだけで印象が変わるからです。
自力でら抜き言葉に気づける方法や、ら抜き言葉と勘違いしやすいけれど実はそうではないパターンなど、まだ書きたいことはあります。
またいつか機会があればと思っております。

◆記事を書いたのは・・・danngo
中高国語科教員免許を持つ、活字中毒気味のアラフォー。高学歴・高血糖・高齢出産の三高ライター。「家事は化学、子育ては文学」を信条としている。

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