「もったいない」ってどういうこと?言葉の意味からその本質を分析
元国語教師で国語科教員免許を持つdanngoです。
ワンガリ・マータイさんが世界共通語にしようとした「もったいない」という言葉。
エコにつながる反面、あまりに使いすぎるとモノに縛られて窮屈な思いをすることになってしまいがちです。
そもそも、「もったいない」とはどういう状態をさすのでしょうか?
比較的歴史の浅い言葉
『広辞苑』(第四版)で「もったいない」をひくと、3つの意味が出てきます。
辞書は基本的に、古い意味から先にあげ、新しくできた意味ほど後に書かれます。
また、用例は「信頼のおける文献(後世に大きく手が加えられた可能性が低い)で、できるだけ古い時代のもの」から優先して採られるようになっているはずです。
一番目にあげられた意味はこうです。
二番目の意味を見てみましょう。
過分のことで畏れ多い。かたじけない。ありがたい。
最後に書かれた、つまり一番新しくできたとされる意味がこれです。
そのものの値打ちが生かされず無駄になるのが惜しい。
一番目の意味はなじみがなく、二番目の意味は時々使う程度、三番目の意味はよく使われるものであることがわかります。
一番目の意味の用例としてひかれた文章は室町時代のものですから、日本語の言葉の中では比較的歴史が浅いと言えるでしょう。
それまでは、「もったいない」という言葉を使いそうな文脈の中では「をし(惜し)」や「あたらし」が使われていました。
「をし」は「愛し」と書くこともでき、もともとは対象への愛情を示す気持ちを表現した言葉。
「あたらし」は「立派だ」というのが原義で、それを惜しむ気持ちが派生して生まれたと考えられます。
ちなみに「新し」は本来「あらたし」と読み、「あたらし」とは別の言葉です。
つまり、モノへの愛情やモノが持っている価値などが充分反映されない、または生かされないまま無駄になっていることを惜しむ気持ちが「もったいない」なのでしょう。
ここまで考えると、「もったいない」の正体は大きく分けて3つあると言えそうです。
モノにかけたお金が「もったいない」
高かったモノほど捨てられないというのはよく聞く話で、これはモノにかけたお金のぶんだけ利用していないということになります。
いわゆる「元が取れていない」という状態ですね。
やりかけの趣味の講座や習い事をわけなくやめる時にも「もったいない」と言いがちですが、この場合はそれまでにかけたお金が無駄になりそうな予感をあらわしていそうです。
モノにまつわる気持ちが「もったいない」
あの人にもらったから捨てるのはもったいない、思い出の品だからもったいない、など。
モノの金銭的な価値に関係なく、そのモノにこもった気持ちをダメにすることを惜しんでいます。
気持ちをこめた贈り物も、長く残るものは負担になるかもしれません。
モノに使った労力が「もったいない」
新型コロナ流行の混乱により物資が不足した時、ドラッグストアをはしごしてようやく買えたトイレットペーパーは輝いて見えませんでしたか?
簡単に買えたモノより、苦労して手に入れたモノの方が大切に思えてくるもの。
希少価値に頑張って手に入れた思い入れまでプラスされ、状況が変わって簡単に手に入れられるようになっても「また品薄になるかも」と過剰に手元に残しがちです。
戦中戦後に苦労した世代の方々にモノを捨てられない人が多いと聞くのも、無理のない話だと思います。
「もったいない」という言葉自体は悪いものではなく、エコ精神につながることもあります。
でも、捨てるのを惜しむあまりにそれに縛られて生活の質が下がるようでは、「もったいない」の優先順位を間違えていることに。
モノを使わずしまいこめば価値が生かされないまま無駄になるため、ただとっておくのも捨てるのも同様に「もったいない」ことだというのを忘れないようにしたいものです。
◆記事を書いたのは・・・danngo
中高国語科教員免許を持つ、活字中毒気味のアラフォー。高学歴・高血糖・高齢出産の三高ライター。「家事は化学、子育ては文学」を信条としている。
神仏・貴人などに対して不都合である。不届きである。