自分の子を亡くすということ。忘れようとしても思いだせない悲しさ
幼稚園児と高校生の母の、サンキュ!STYLEライターマミです。
私には、実はもうひとり子どもがいました。25歳の時のはじめての子どもです。しかし、生まれつきの病気があり、1歳1か月で亡くなってしまいました。
その子は、生きていれば今年20歳です。愛子さまと同じ年なので、いつも愛子さまをテレビで拝見するたびに思い出していました。
今日は、そのお話をしようと思います。
何の心配もなく普通の子が生まれると思っていた若い私
私が初めて妊娠したのは24歳の時だったので、普通に出産して、普通の子が生まれるとばかり思っていました。
しかし、子どもは先天性の病気を持って生まれてきました。とてもショックでしたが、でも、同時にできることはすべてしよう、どうにかよくなって欲しい、元気になって無事成長して欲しいとの一心で看病しました。
本当に、当時の私ができることはすべてしたと、今となっては思います。
でも、子どもが亡くなった時、手術や治療は正しかったのだろうか?短い人生、辛いことばかりだったのではないだろうか?辛い治療はせずに、もっと楽に過ごす方法もあったのではないか?と自分を責めました。
自分も一緒にいなくなりたいとも思いましたが、でも、今の自分の想いを、自分の両親もすることになると思うとできませんでした。
今も気持ちの整理はできていない
亡くした子どものことについては、実は今も気持ちの整理はできていません。
何がよかったのか、悪かったのか、私はどうしたらいいのか、今もよくわかりません。思い出すのは辛すぎて、今でもいつでも泣けるけれど、でもそうならないように頑張って生きているだけという気もします。
その出来事は、自分の中の「保留」という箱に閉じ込めてあるだけ、時間の経過が少しだけ癒してくれただけという感覚です。
それでいいのか、私は薄情な母ではないのかという思いがいつもあります。
忘れようとしても思い出せない悲しさ
実は、子どもを亡くしてすぐから、私は子どもの顔を何も見ないで思い出すことができません。色々な細かいことを、思い出そうとすると頭に霧がかかったようになって、思いだせません。
「忘れようとしても思いだせない」そんな言葉がぴったりです。忘れているわけではないし、忘れようとしているわけではないのですが、大事なことを思いだせていないのではないか?そんな気がいつもしています。
ですが、今高校生の息子を出産した直後、フラッシュバックのように亡くなった子どものことを思いだした時期があります。
息子には点滴の管が付いていないのに、抱っこするときに、点滴の管を気にしている自分がいたり、息子を抱いている時に、亡くなった子と重なって、ひとり号泣したことがあります。
息子が生まれたのは、最初の子どもがなくなった四年後だったのですが、その頃、亡くなった子のことが思いだされてたまらなく、この気持ちをどうにかしたいと強く思ったのを覚えています。
さらに流産を経験
息子が生れたあとに、息子に兄弟もいればいいなと思い、そして妊娠することもできました。しかし、流産してしまいました。
子どもを亡くすという経験をすでにしているのだから、まさか私が流産なんてすることはもうないだろうと、たかをくくっていた私。でも、流産してしまいました。
本当に、無事に妊娠して出産することは奇跡なのだなと痛感。
「子どもを亡くしたり、流産という経験は、命の大切さを子どもたちが教えてくれたんだよ」なんて人から言われたりすることもありました。
でも、仮にそうだとしたら、それは子ども達に申し訳なさすぎます。そんな経験をしないと命の大切さもわからない私の為に、自分の命を使ってくれただなんて、本当に自分が情けなくなると思いました。
これからもずっと解決することはない
どうにか楽にないたいと思ったり、私が楽しく暮らしていいのだろうか?と思ったり、色々なことを考えます。でも、解決することはないと思います。
色々なことを考えながら、悩んだりして生きていくしかないのだなと感じます。一生懸命自分の人生を頑張って生きるしかない、亡くなった子の分まで。そう思います。それが正解かはわかりません。
でも、私には、今生きている子どもも二人います。無事に生きてくれていることの喜び、ありがたさを忘れずに、この子たちを育てていかなくてはいけません。毎日無事でいてくれることに感謝を忘れずに。
◆記事を書いたのは・・・サンキュ!STYLEライターマミ
2級家事クリエイター(料理科目・掃除科目)音大卒で元家政婦の異色の経歴の主婦。多趣味で多特技あり。すべてを生かしてカリスマ主婦をめざしています!幼稚園児と高校生の10歳年の差兄妹の母でもあります。