自分軸=わがまま?他人にしばられず自分で考えて生きよう

2022/08/26
  • 二児の母。塾講師、学校教師の経験あり。甘いものと日本の古いものをこよなく愛しております。もっと見る>>

こんにちは。サンキュ!STYLEライターのdanngoです。
近年、自分軸で生きることの大切さがよく語られるようになってきましたが、違和感を覚える人も多いのではないでしょうか。
自分軸で生きるのはわがままでいけないことだと思いがちな人のために、私のスタンスを書いてみます。

わがままの意味って何だろう

他人や周囲などの都合や事情を考えずに、自分勝手に振舞ったり発言したりすること。

現在よく使われる「わがまま」は自分以外のことは考えず、自己中心的なふるまいをすることをさしています。
もともとは、「わ(我)」、「が(の)」、「まま(通り)」なので「私の思う通り」くらいのニュアンスでした。
そのためか、良い意味で「わがまま」という言葉が使われることもありますね。

自分軸はわがままなのか

自分軸で生きるのがいけないと思ってしまいがちなのは、やや年配の世代に多いようです。「他人に迷惑をかけてはいけない」「自分のことは後回しにしなさい」といった価値観を植えつけられて育っているからでしょう。
自分の思う通りにふるまうことは「わがまま」だと叱られることも多かったでしょうが、そもそも自分の思う通りに生きること自体が悪いことでしょうか。

いえ、自分が思う通りに行動した結果、他人に被害が及ぶ、迷惑をかけることがあってはいけないだけですよね。
一昔前は地域のコミュニティが緊密で、少しでも人に迷惑をかけるとその地域で暮らしづらくなるという意識があったのではないでしょうか。
現在は昔のように濃く限定的な人間関係は見られなくなっているので、自分の行動に強く制限をかけなくていいと思います。

自分軸は自分の考えを持って行動するということで、原義の「わがまま」に近いですが「他人や周囲の状況をかえりみない」というわけではありません。
そのため、現在よく使われる意味での「わがまま」と「自分軸で生きる」の意味は完全に合致することはないと思います。

自分軸の利他主義を目指したい

私は「自分軸で行動する」というイメージをおもちゃでたとえるなら、コマのようなものだと思っています。
あちこちフラフラと動き回って落ち着かないように見えても、回転の中心は常に真ん中の芯の部分で安定しています。

逆に「他人軸で行動する」のはけん玉の玉の部分のような感じ。
常にひもでつながれ、けんを持つ人が操作することによって動きますが、玉そのものがひとりでに動くことはほぼありません。

コマのように好き勝手動き回っていても、自分の考えで動ければ良いのではないかと思います。
首尾一貫することが大切ではなく、自分の考えで動いているかどうか。
他人の思惑を考慮して周りの望む方向ばかり意識していると、そのうち「自分がやりたいこと」を考えることができなくなってしまいます。

私が目指すのは、「自分軸の利他主義」。
人間は人の間で生きるものだから、他人のためになることをしたいという思いがあります。
でも、それは誰かに押しつけられたものではなく、自分自身で考えて行動した結果。
同じボランティアでも、自分で興味や問題意識を感じてやるのと、就職や受験に有利だからという他者の評価のためにやるのとではモチベーションが違うのです。

自分が何のために生きているかわからない、といった悩みをよく耳にします。
そういう方は、今まで他者の目を気にしすぎて自分の心にふたをする癖がついているのではないかという気がします。
まずは何でもいいので、他人の意見を求めず気にせず自分で決めてみるところから始めてみてはいかがでしょうか。

◆記事を書いたのは・・・danngo
中高国語科教員免許を持つ、活字中毒気味のアラフォー。高学歴・高血糖・高齢出産の三高ライター。「家事は化学、子育ては文学」を信条としている。

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