ジェンダーと戦う!平安物語文学の2人の姫君に見る共通点
学生時代は平安物語文学を研究していたサンキュ!STYLEライターのdanngoです。
現代ではよくジェンダーについて議論がされるようになりましたが、平安時代はもっと厳格なジェンダー(性役割)の定義がありました。
その風潮に逆らうように描かれた平安物語文学の2人の姫君について、特徴や共通点を探ってみます。
『とりかへばや物語』女中納言
『とりかへばや物語』は、ほぼ同年齢であるらしい瓜二つの男女のきょうだいが性を取りかえて生き、その後本来の性に戻るいきさつを描いた物語です。
主人公は女中納言と呼ばれる女性で、活発で利発、人前に出ることを好んだため男子と勘違いされ男性として社会に出ることになります。
きょうだいの男尚侍は恥ずかしがりやで内気な性格、人に会うことを極端に嫌がったため女性の姿で成人し尚侍になりました。
女中納言が四の君を妻とした後、友人の宰相中将が四の君と密通、懐妊してしまいます。
宰相中将は女中納言の正体を知り契る仲となり、しばらくして女中納言は妊娠に気づきました。
仕方なく宰相中将を頼り宇治に身を隠して女姿となり男子を出産、その後失踪した女中納言を探すため男姿になった男尚侍に連れられて脱出。
女中納言と男尚侍は立場を入れかえ、尚侍となった女中納言は天皇に見初められて中宮となります。
男装の麗人を描いた物語ですが、注目すべきは妊娠し男装を解く必要に迫られてからの心中です。
男として得た社会的地位の捨てがたさ、宰相中将に自分の運命をゆだねることへの不満がつづられています。
宇治に身を隠す道中では吹きおさめとなる横笛(女性は吹かない)を吹きたてるシーンがあり、男性社会への未練を感じさせます。
出産準備のため女姿となり、語られる心中はこちら。
我をまたなく思はんだにありし有様にてはこよなしかし、ましてかくのみ心を分けられては何にかはせん、などぞ思へど、いかにもいかにもこのほどまではこの人を背き隔つべきにもあらずと、さは言へど男に馴らひにし御心はうち思ひとりて
前半は宰相中将が四の君を気にかけているのを不満に思う気持ちです。
またとなく大切に思われる場合でも、男だった時の自分に比べるとひどくつまらないというのです。
後半は、出産をすませるまでは宰相中将に逆らえないと考え直す合理的な気持ち。
「男に馴らひにし御心」は何度も繰り返されるフレーズで、女中納言が男社会でつちかった合理性をあらわしています。
親子の御契り絶えぬものなれば、行きあひつつ見ぬやうにもあらじ、さばかりなりしわが身の、この児かなしとても、いとかく人げなくて、通はんをわづかに待ちとりて過ぐすべきかはと、なほ過ぎにし御心の名残強く思しとりて
我が子を置き去りにして宇治を離れる場面での心中です。
子どもには別れてもいつか会えるはずだ、子への愛情にひかれて頼りない宰相中将をあてにして過ごす人生などありえないと考える強気の姿勢。
物語では子への愛情のため自らを犠牲にする女性が多い中、異例と言える考えです。
女中納言は、一般的なジェンダーにとらわれていないことがわかるでしょう。
『虫めづる姫君』按察使大納言の娘
按察使大納言の娘である姫君の変わった趣味を描いた短編物語。
虫を好み、かごに入れ集めさせて愛玩し、身なりにも気をつかわない姫君。
特に毛虫が好きで、化粧をせず眉を抜いたりお歯黒をつけたりもしなかったため、女房には陰口をたたかれます。
「苦しからず。よろづのことどもをたづねて、末を見ればこそ、事はゆゑあれ。いとをさなきことなり。烏毛虫の、蝶とはなるなり」そのさまのなり出づるを、取り出でて見せたまへり。
「烏毛虫(かはむし)」は毛虫のこと。全てのものは研究して先を見ることで本質がわかると説いています。理系の発想ですね。
姫君の噂を聞き興味を持った右馬佐という貴公子が、姫君にヘビに似せた動く帯と手紙を贈ります。
頭を出したにせもののヘビに邸内はパニックになるものの、姫君はこわがりながらも念仏を唱え、異常を聞きつけてかけつけた父親が真相に気づきました。
手紙には「あなたのそばにいたい」という内容の和歌があり、姫君は「極楽で会いましょう」とカタカナの和歌で返します。
さらに姫君に興味を持った右馬佐、変装して垣間見を試みました。
髪はボサボサ、化粧もせずがさつな動きをする姫君に驚きます。
練色の、綾の袿ひとかさね、はたおりめの小袿ひとかさね、白き袴を好みて着たまへり。
練色は薄い黄色で、年配の人が着ることの多いもの。若い女性は赤や黄、緑や紫など多くの色を重ねて華やかさを出すのが普通です。
白い袴は男性用で、女性は赤を着るのが通常。
一番上に重ねた小袿はキリギリス(コオロギとも)の柄で、虫好きの性格を反映した珍しいものです。
若い女性らしい服装を避けることは、ジェンダーの型という同調圧力への反発や、結婚拒否の姿勢が読み取れると考えられています。
木についた毛虫を、漢字練習を書きつけた扇に拾い入れさせ始めたところ、右馬佐がのぞいていることが発覚。
姫君は庭に走り出して毛虫を拾った後部屋に逃げ込みます。
「思ひとけば、ものなむ恥づかしからぬ。人は夢幻のやうなる世に、誰かとまりて、悪しきことをも見、善きをも見思ふべき」
はかない世の中で永遠に生きる人などいないのだから、絶対的な善悪の判断は下しようがないと開き直る姫君の言葉。悟っています。
理系っぽくも哲学っぽくもあり、真理をついた部分でドキッとさせられる気が。
右馬佐は姫君にひかれる部分を感じつつ、笑いながら帰ったところで物語は終わりです。
2人の姫君の共通点
女中納言も按察使大納言の娘の姫君も、当時の女性らしさからかけ離れていたところがよく似ています。
情に流されず、合理的に物事を考える部分も共通。
平安時代にはかなり珍しかった人物類型です。
面白いのは、2人の美質にまで共通点があること。
「はなばなとほこりかに」「あざやかににほひ満ちて」と表現される女中納言。
「あざやかにけだかく、はれやかなる」「はなばなとあざやかに、涼しげに」と評された按察使大納言の姫君。
はなやかではっきりとしている雰囲気がよく似ているようです。
奥ゆかしさや上品さ、守ってあげたくなる可愛らしさが強調されがちな平安物語文学の女性たち。
「内包する美」が理想とされる中で、2人の姫君は外に向かい「拡散する美」を持っていたようです。
社会的性役割に沿わない形でも女性は輝くことができる、2つの物語が伝えたいことは結局そこではないかと私は考えているのです。
※引用文献
・三角洋一、石埜敬子『新編日本古典文学全集39 住吉物語 とりかへばや物語』
・三谷栄一、三谷邦明、稲賀敬二『新編日本古典文学全集17 落窪物語 堤中納言物語』
◆記事を書いたのは・・・danngo
中高国語科教員免許を持つ、活字中毒気味のアラフォー。高学歴・高血糖・高齢出産の三高ライター。「家事は化学、子育ては文学」を信条としている。
かばかりのわが身のおぼえ官位を捨てて(中略)かばかりの人に身をまかせて入り居なんわが身の契りはいと飽かぬことなるべきを