雑誌と花束

積年のモヤモヤが5文字で解決!『サンキュ!』3月号の特集ページ

2024/02/02
  • 二児の母。塾講師、学校教師の経験あり。甘いものと日本の古いものをこよなく愛しております。もっと見る>>

こんにちは。サンキュ!STYLEライターのdanngoです。
毎号かかさず『サンキュ!』を購読している私。
最近買った2024年の3月号を読み進めていると、とても気になるページを見つけました。
そこで扱われている内容は、私が幼い頃からなんとなく感じていた不条理をはっきりと教えてくれていたのです。

メディアやSNSが美男美女をもてはやしすぎる

バラの花

容姿が美しいということは、長所の1つであることは確か。
いろいろと涙ぐましい努力をしているということもあるでしょう。
見た目をほめること自体は悪くないと私は思うのですが……、ただ時としてほめすぎているのではないかと思うことも。

芸能人の見た目が美しいことばかりを取り上げる演出や、ファンの人が好きな芸能人に対して「顔が小さい」「脚長い」「目が大きい」と外見のことばかり話す様子。
SNSでは美男美女の顔出しアカウントがバズり、多くのフォロワーを獲得しているだけでなく「かわいい」「きれい」「素敵」「天使」など、おびただしい数の称賛コメントが。

昔からこういうことはありましたが、現代ではそれがよりあからさまになったような気がするのです。
『サンキュ!』3月号の「あしたを変えるひと」という特集ではっとしました。

『サンキュ!』3月号

そこにあったは「ルッキズム(外見至上主義)」という言葉。
私が心の奥で納得できないと感じていたことを端的に言いあらわされ、「これだ」と目が離せなくなりました。

ずっと外見で判断されるのに抵抗があった

愛猫と私

幼い頃から肌が黒く毛深く、吊り目だった私。
毎日同級生から「ブス」「キツネ」とからかわれていたのが今でもトラウマです。
写真と鏡が嫌いで、カメラを向けられると逃げることも。

成人してからも、見た目で損することはありました。
接客業の求人でグループ面接をしたとき、グループ内に女性は私ともう1人だけ。
そのもう1人が、モデルだと言われても疑わないほどの美女。
胸元には高級そうな一粒ダイヤのネックレスが光り、美しさを引き立てています。
私は瞬間的に負けを確信しました。
面接官は私が話すターンでは「ああそう」と聞き流し、彼女が話すと熱心に相づちを打つのです。
話す内容のレベルはたいして変わらないのにと思い、その屈辱は今でも忘れることができません。

建前と本音が違う社会にNOと言いたい

女性

今回読んだ特集では、病気や障害などで外見に特徴がある人のことを扱っていましたが、ルッキズムの弊害はそういった人達だけが感じるものではありません。
見た目が少し劣っているというだけで傷つく私のような人もいますし、逆に美しいことで悩む人もいるようです。

先にあげたSNSの例もそう。
当事者にとっては、たまたまうまく撮れた自撮りが称賛の嵐にさらされることで、次の投稿も美しく撮らねばとプレッシャーに感じることがあると思うのです。
加工アプリが手放せなくなったり、外見ばかりほめられて内面の部分を見てもらえなかったり。

「人間は外見ではなく中身だ」というのはよく耳にする言葉ですが、きれいごとなんじゃないかと思う自分がいます。
外見が悪いことを直接的にせめることをしなくなったかわりに、美しい人を過剰にほめることで間接的に誰かを傷つけている、というのが社会の現状なのではないかと。
まだ私達は視覚的な情報に頼りすぎていて、無意識のうちに外見至上主義におどらされている、ということをまずは自覚しなくてはいけません。

服のボタンを留める

私が幼い頃なんとなく思っていたのは「いっそみなが仮面をつけて暮らしたらどうだろう」ということでした。
最近顔出しをしないアーティストの活躍が増え、私の思っていたことが現実になりつつあります。
見た目で判断させないようにするには、見せなければいいわけです。
「大切なのは美しい姿ではなく、美しいものをつくりだす心なのだ」と彼らは言いたいのではないでしょうか。

◆記事を書いたのは・・・danngo
中高国語科教員免許を持つ、活字中毒気味のアラフォー。高学歴・高血糖・高齢出産の三高ライター。「家事は化学、子育ては文学」を信条としている。

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