【子育て】不登校だった息子のその後
サンキュ!styleライターゆずうさぎです。
私の息子は中学生の時に一時不登校になりました。
不登校になった子は学校に行けるようになったら『めでたしめでたし』なのでしょうか?
…実はそうでもない気がします。
息子が不登校になったころから今までのお話をしようと思います。
息子はこんな子
※息子からもらった母の日のお花です。
息子は、普通の子です。特別何かに秀でているわけでも逆に何かが苦手なわけでもなく、いつも屈託なく笑っていました。
正義感が強く面倒見のいい子でした。
勉強は苦手ではありませんが、好きではありませんでした。
本当に普通の子です。可もなく不可もなく…という感じでした。
優しくて生き物が大好きな子です。
困っている人がいたら助けてあげるような子でした
些細なすれ違い
※息子は甘いものが苦手なのでバースデーケーキはいつも手作りのチーズケーキです。
中学生の時にほんの些細なすれ違いと誤解でトラブルが起こりました。
本人は一生懸命自分の気持ちを伝えたのですが、なかなか伝わりませんでした。
のちに大人(親)が間に入って彼の気持ちを伝え、表面上は解決したように見えました。
でも彼の心の傷は本当に深かった。
人(大人)への疑心は止まることなく、親(友達の親も含む)以外の大人に心を開かなくなりました。
その日は突然やってきた
※息子の誕生日はイチゴの季節なので、イチゴがのってるケーキばかりになります。。
学年末の前日…私立高校の入試の2週間前…ある日突然
「もう学校に行かない」
と言い出しました。
本当に…後頭部を殴られたくらいのショックを受けました。
その後、大人だけでさんざん話し合い…本人とも話し合い…
「この子はずっとピンと張った糸のように毎日を過ごしていて、もう切れてしまったんだな」
ということがわかりました。
ただ、どうしてもテストだけは受けてほしくて頼み込んで受けてもらいました。
そして学校に行かなくなりました。
何度も学校と話しあっていたのに、どうしてこうなったのか
もっと彼に何かをしてあげられなかったか
過去を悔やみました。
そして飄々として顔色一つ変えず、普段通りに過ごしていた彼の心がこんなにむしばまれていたことに気付いていなかった…いや気づいていたけど何とかなると思ってみないふりをしていた自分を責めました。
高校に入学する
※毎年、母の日と誕生日に子供たちからプレゼントをいただきます。
試験が終わって、宣言通り(?)彼は学校に行かなくなりました。
私も学校に行くことを促しませんでした。
学校の課題は私が学校にもらいに行き、家で息子に頼みこんでしてもらい私が学校に提出しに行きました。
彼は自棄にはなっておらず、入試の勉強をしていました。
大人嫌いだったので(当然)塾に行くこともできず、勉強は私が見ました(元塾講師なので…)。
そして、志望していた高校に合格しました。
高校には、何事もなかったように通い始めました。
高校の担任の先生には中学校で何があったかを話しておきました。
友だちもできて部活にも入り、本当に…何気ない毎日を送っていました。
時々、体調を崩して学校を休むこともありましたが楽しそうでした。
でも、心がとても不安定でよく愚痴を言っていました。
心がとても弱っていたので、私も彼の様子にとても目を光らせていました。
ある日限界が来た
※子供たちにもらったお花が根付きました。
ある日、高校の同級生のママさんから電話がありました。
それまでラインのやり取りをしたことはありましたが、電話をしたことがなかった相手だったのでびっくりしました。
「どうしたのー??」
「…あのね。。落ち着いて聞いてね。今救急隊員さんに代わるから、しっかり話を聞いて」
意味が分かりません
息子が遊びに行った先で倒れた…
意識が混濁しています…
命に別状はないですが、会話ができません。病院に来れますか?
…と言われました
頭が真っ白になって涙すら出てこなかった
朝、笑って出て行った彼の顔を思い出して…
何が起こっているか理解できませんでした
*遊びに一緒に行っていた友達が、私への連絡手段がなく息子の友達→その母→私経由で連絡をしてくれたのでした。
心が傷つくということ
※朝はあまり食べない子なので、よくケーキを焼いてあげます。
病院につくと、意識が(混濁してるとはいえ)回復しつつありました。
「何やってんのよ。声出せないの??顔に落書きしていい??」
とちょっとチャラけて言ってみました。
声は出せないようで、口パクで「やめろ」と言っていました。
そして昔と変わらない満面の笑顔でニカッと笑いました。
…泣いちゃダメだ
ぶっきらぼうで口の悪い彼だけど、人が泣いている姿を見ると傷ついてしまう。
一緒にいる(救急車を呼んでくれた)友達も不安になってしまう。
私は笑顔で彼に話しかけました。
原因不明ということでそのまま入院となりました。
意識は回復しましたが、左側がマヒしていて言葉もあまり出てこないようでした。
どこを調べても悪いところが見つからず、医者も首をかしげていました。
遠方の病院だったのに彼の友達がお見舞いに来てくれて、嬉しかったです。
結局一週間ほど入院しましたが、原因が見つからず経過観察することにして退院しました。
退院後、マヒを何とかしたくて整体や鍼灸などの病院をめぐりました。
何がどうなって効いたのかは本当にわからないのですが…そこからさらに1週間後彼のマヒが治りました。
病院から帰ってきて(診察が終わったら病院に迎えに行く約束をしていたのに歩いて帰ってきたのでびっくりしました)
「お母さん、左手出してみ?」
と言われ、左手を出すとぎゅっと力強く握ってくれました。
うわーーーーーーーん
私は初めて子供のように泣きました。
「何泣いてんだか」
と彼はニカッと笑いました。
乗り越える
※私が忙しい日に、子供たちが夕飯にカレーを作ってくれました。
その後彼は少しずつ回復して、また学校にも通えるようになりました。
計2週間ほど休み、最初は車で送迎でもちろん早退することもありましたがいつの間にか通常通り学校に通っていました。
友だちが支えてくれて、ありがたかったです。
勉強面に関しては、(やはり)塾に通うことは頑なの拒否をして自分で勉強をして大学に進学することになりました。
不登校になった時「高校に行かない」と言っていたのに、本当に頑張ったな…と思いました。
今だからこそ言いたいこと
文字で書くとほんの3000字ほどの出来事です。
私も息子ももしかしたら周囲(家族・兄弟・友人等)に恵まれて比較的うまく進んでいたほうなのかもしれません。
たったこれだけのことか…と思われるかもしれません。
でも、あの時は終わりが見えなかったので毎日不安でたまらなかったです。
今でも毎日大丈夫かな?無理してないかな?と心のどこかで心配しているところもあります。
今回なぜこの話を書こうと思ったかというと
もし、今お子様が不登校になり悩んでいらっしゃる方・それ以外でもお子様のことで悩んでいらっしゃる方へ
「今」は「永遠」ではない
ずっとこのままではない
とお伝えしたかったからです。
また、今お子様が元気に登校できていたり元気に帰ってきたり笑ったりしていることは
「あたりまえ」ではなく「しあわせ」なこと
だとお伝えしたかったからです。
今年はとても不安定な年でした。この状況もまたいつまで続くかわかりません。
でもきっと「永遠」ではない。
お互いがんばりましょう。
■この記事を書いたのは…サンキュ!styleライターゆずうさぎ
元サンキュトップブロガー。小学生〜大学生まで三男一女4人の子供を育てる母。子供を通して沢山の経験をさせていただきました。その経験を時々お話しています。