〈愉しくオバさんを生きていく。〉“家族のため”の発想をやめたら、不平不満が消えた

2022/02/14
  • 1972年生まれ。『サンキュ!』創刊時(1996年)以来のカリスマ的人気読者。エッセイ集など著書を相次いで刊行したのち心理学を学び、現在はフリーランスの心理カウンセラーとして活動。『サンキュ!』では2007年から現在まで14年余りブログとエッセイを執筆。2021年10月より新連載「愉しくオバさんを生きていく。」をスタート(毎週月曜日午前9時更新)。趣味は旅行・ドライブ・ゴルフ・読書・スマホゲーム・お酒を飲むこと(1人で晩酌するのも大好き!)。もっと見る>>

1972年生まれの私は現在、49歳。若松美穂もオバさんと言われる年齢になりました。

今、若い頃に思っていたより、オバさんは気楽で愉しい!と感じています。
子育てがひと段落し、時間ができて自分のことをメインに考えて暮らせるようになってきたからかもしれません。「女子」ではなくなったことも、心地よさの理由の1つな気がします。

そんな私が、アラフィフのからだ・心・時間・旅・人間関係……もろもろを、個人的な視点で書いていきます。
「オバさんを生きる」。けっこう心地いいな。
そんな思いを込め、リニューアル新連載のタイトルは「愉しくオバさんを生きていく。」にしました。

毎週月曜午前9時更新。
おつきあいいただけましたらうれしいです

【体力は落ちてきているから、自分のリズムで充電するの】

ある日のこと。午前は講座、午後は都心へ向かい用事をこなす。スケジュールに余裕がなく、昼食は車の中でパンを一つ食べただけで帰宅が18時半を回っていたので、家族を待たず、あるものでおなかを満たしました。……ら、疲れがみるみる押し寄せてきて、グロッキー(なんて今は言わないか!?)状態に。ホッとしたのか、いつにも増して疲れを感じます。そして眠気までやってきました。時計を見ましたら、家族の帰宅までには、まだ時間がある。「夕飯を作れるように元気を取り戻そう」と、ベッドにもぐりこみました。最近の私は、30分の昼(夕)寝だとしても、ベッドの方が深く眠れ、しっかりパワーを充電することができるのです。

【過去の私は、家族のため……が好きだった】

今の私は、「家族のために夕飯を作らねば」と思っているわけではないのです。下の子も成人し、母が居ようが居まいが、起きていようが寝ていようが彼らの生活に支障はありません。家族に手がかからなくなった今は、「自分がどうしたいのか?どうありたいのか」を、大切にしています。

という私も、以前は誰かのために……が好きでした。夫のため・子どものため・母のため。なんでしょうね~。それが良い母・妻・娘のような気がしていたのかな。もちろん私がすることの中には、彼らが望むことや、ありがとうと感じたことがあったかもしれません。でも一方で、「あなたのため」のはずが、「ためになっていない」こともあるのです。

3年前の2月、娘に作った2日間のお弁当の写真が残っておりました。凝ったことはせず、色々入れるのが私のお弁当。「ご飯が残る」と言われ、ご飯の上にいつも何か乗せていたことを思いだしました。

【愛妻弁当は幻想!?】

むか~し昔の話、夫にせっせとお弁当を作っていた時期があります。ある時、彼に言われました。「君がつくるご飯を毎日3回食べるのはつらい」って。「朝昼晩私の料理では飽きるんだよね」という意味ですね。言った本人は覚えていないらしいのですが、けっこうな衝撃で、思いだすたびに笑えます。人に言うと、さらに笑われる(笑ってくれる、最高の我が友たち!)。

とはいえ腹も立たず、彼の気持ちは理解ができました。「まずい」と言いたいわけではないのです。料理が得意でおいしいものが好きな人だから、仕事の合間の昼食くらい、自分でお店を選んで好きなものを食べたいのです。外に出るのも気分転換になりますしね。つまり、愛妻弁当ではなく、苦妻弁当になっていたわけですね。もう、即やめました。

【よくよく考えると、すべては自分のためだった…】

自分は家族にとって良かれと思ってしていることでも、相手は「別に/頼んでいない」という経験を、何度もしました。そして、気がつきました。私の場合○○のためと思っても、元をたどっていくと「私がしたいから」。結局は私のためなんだよね~と。

食卓に色々並べるのは、家族が「おいしい」と喜ぶ顔が見たいから。愉しく食べて、元気に過ごしてほしいから。料理や家事が手順良く出来たら、達成感を感じるのも私だし、片付けるのは、雑然としているより、モノの在りかがわかる方が心地がいいから。きれいが好きだから、掃除も洗濯もするんだなって。そして実母のいくつかの要望に応えるのは、その先の人生で私自身が「あの時……」と後悔したくないからです。そう、主語はいつだって「私」。

家族も自由に、私も自由に。仕事を終えて、夕方から1人でふらっと、栃木県の足利フラワーパークへ。1時間ササっとお散歩をして、気分転換。自分が満たされると、マイナスの気持ちは薄れます。

【「私のためにやってる」と気づいたら、不平不満が消えた】

「誰かのため」という気持ちがあると、つい「こんなにしてあげているのに」と、感謝や見返りを求めたりもして、面倒な自分になる。

あの日、家族の帰宅前にベッドで元気を補充したのは、娘にとって重要なことがある日だと知っていたから。笑顔で「おかえり、お疲れ様」と伝えたかったし、温かいご飯を食べながら、その日あったことを聴かせてもらいたかったのです。ほら、ここでもやっぱり私のため。こちらが疲れているとわかれば、彼らは遠慮し、適当に食べて、寝る準備を進めますから。もちろん、いつもこんな対応をしているわけではなく。忙しい時には「明日早いので寝ま~す」というLINEのみ。さっさと寝ます。

家族のためではなく、“すべては私がしたくてしていること”という考え方になってから、家族への不平不満は、ゼロに等しいような気がします。

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