20歳の時に介護をスタートした私が思う高血圧を放置した父に思う事
- 知って活用、暮らしに溶け込む健康づくりをモットーに東洋医学のセルフケアの知恵を取り入れやすく続けやすいように発信します。看護師・薬膳師・などの資格をもつ令和元年生まれの坊やのママです もっと見る>>
看護師で薬膳師の薬膳ナースけいこです。
実は、私の父は私が20歳の時、就職して現場に出た初日に脳出血で倒れました。私にとって看護師としてスタートした日が親の介護のスタートになったのです。
高血圧を放置したことが原因の55歳での脳出血、左半身麻痺となった父に対して思うことをまとめました。
高血圧などの生活習慣病や不調を感じているけれど受診を迷っている方の、何らかのきっかけになれば幸いです。
高血圧を放置したらどうなるか、自分の事として向き合ってほしかった
高血圧を指摘されていた父ですが、途中で自己判断で服薬をやめていました。倒れた日の血圧は200mm/Hg越えです。
高血圧と脳血管疾患との関連については知っており、「いつか、大きなことがおこるかもしれない」と漠然と感じていたはずです。
しかしながら、「自分は大丈夫だろう」と考えて、現実とリスクから目を背けていました。
結果的に脳出血をおこして、左半身麻痺となります。
父は仕事が生きがいの人でした。55歳と発症年齢が若かったこともあり、職業訓練のリハビリ施設に入所しましたが、再び働くことは叶いませんでした。
高血圧がどんな結果を招くか、わかっていたのなら「自分も病気や障害を持つかもしれない」と危機感を持って対処してほしかったです。対処すれば防げた病気、防げた障害です。気づいた時にはもう遅い、取り返しのつかないことになってしまいました。
家族に与える影響を考えて欲しかった
父とは、学業や家庭の事情で別々に暮らしており、顔を合わせるよりも電話で連絡をとることが多かったのですが、血圧が高いことや勝手に服薬をやめそうな性格はわかっていたので、折に触れ声をかけていました。しかし、結局倒れてしまいました。「もっとできることは無かったのか。看護師なのに」自分を責めましたが、落ち込んでいる暇などありません。
自分の仕事が終わって勤務している病院を出て、そのまま父の入院している病院へ。休みの日は、役所の手続き、次に転院する病院の手続き…親族の助けはあるものの、1人娘の私にかかる負担は大きかったです。
就職1年目、それだけでも大変な中で、仕事の合間、休みの日は介護1年目で手続きが山積みです。精神的にも肉体的にも疲労が蓄積していきました。
家族に病気の人が出ると、家族全員がゆらぎます。仕方のないことですが「予防できた事」だからこそ、辛かったです。
やはり、元気でいてほしかった
元気だった家族が突然病気になることは、本人はもちろん家族も辛いものです。元気でいて欲しかった。この一言に尽きます。
父が倒れた日から、20年以上の月日が経過しました。あの頃は大変でしたが、経験したことが私の力になりました。
患者様や、ご家族に、看病する側の気持ちを良く分かってくれると信頼していただけたり、介護制度の知識が徐々についていたので、介護支援専門員(ケアマネージャー)の勉強がはかどり、資格を取ることができました。看護師として働きながら支援が必要な部署に早めに声掛けするなど、仕事の面で役に立ちました。
あの頃は辛かったですが、今となっては良い経験だったと思います。
「サイレントキラー」という言葉があります。高血圧など自覚症状に乏しい病気は静かに進行して、生命や生活の質を脅かす。さらに死を招くこともあるという意味です。
ご自身、周りの大切な方に今年の健康診断で生活習慣病のリスクを指摘された方はいませんか?父や私のような想いをすることがないように。今日からできることを始めてみませんか?