私が見た「震災後の東北」と「あいまいな喪失」 ―― 3月11日に寄せて

2023/03/11
  • 気象予報士として講演・執筆を行うかたわら、野菜たっぷりの作り置き料理を代行する出張料理人としても活動中。野菜ソムリエ、食育インストラクター、薬膳マイスターなどの資格や、東北~関西まで各地に住んだ経験から、健康や美容にうれしい食材や、いざという時に備える災害食にも詳しい。 もっと見る>>

死者・行方不明者が2万人を超えた東日本大震災から12年を迎えます。
今日は、震災後の東北に住んだ経験から、防災士そしてメンタル心理カウンセラーの視点で「あいまいな喪失」について書きます。
少し重たい話になってしまうかもしれませんが、皆さんが未来の災害について考えるきっかけになれば嬉しいです。

私が見た「震災後の東北」

私が東北地方に転勤したのは、震災から4年目を迎えた2015年でした。
当時はまだ、沿岸部ではがれきが残っている場所があったり、かさ上げ工事が始まっていない場所もあったりしましたが、ちょうどこの年の3月に常磐自動車道が全線開通し、5月には仙台と石巻を結ぶJR仙石線が全線で運転再開するなど、大きなインフラが息を吹き返したタイミングでした。

全線開通まもない頃の常磐自動車道(福島県双葉町付近・2015年5月撮影)。ときどき道路脇に現れる線量計(画面中央左の電光掲示板)を見ながら走る。

復興が本格化したこのタイミングは、人々の心の歩みに差が目立つようになった時期でもあります。
もちろん心の持ちようというのはもともと個人差があるものですが、同時に外的要因もかなり大きかったと思います。
復興のスピードが速い自治体とそうでない自治体、復興計画に住民の意見が多く反映された集落とそうでないところ、外へ流出した住民が多い町とそうでない町。
そして、人々が抱える「喪失」の種類にも差がありました。

JR常磐線の相馬駅(福島県相馬市・2018年1月撮影)。2016年にこの相馬駅までが開通し、2017年には浪江~富岡間を除くすべての区間で運転再開したが、全線での再開には発災から10年を要した。

「あいまいな喪失」とは

東日本大震災で犠牲となった約2万2千人のうち、震災から10年以上が経過した今でも、「行方不明」の人が2千人以上います。
「行方不明」とは、ご遺体が見つかっていないということです。

石巻市の高台にある日和山公園(宮城県石巻市・2016年4月撮影)。12年前のあの日、ここに避難した住民たちは降りしきる雪の中、濁流に飲まれる建物と車、そして津波火災の炎を見ていた。(なお、本記事のトップ画像はこの写真の奥に見えている復興工事中の沿岸部の様子)

もちろん、日本のような先進国では、たとえ津波に流されてどこか知らない町に流れ着いても1年以上帰れないということはないと思われますし、太平洋を渡って他国に流れ着くのも無理があるのでどこか外国にいて帰国できないということもないと思いますから、今見つかっていないということは亡くなっているということだと頭ではわかるのです。
そう、頭ではわかっているのです。
でも、ご遺体は見つかっていない。
失ったことについての明確な証がない。
このような喪失感のことを心理学の言葉で「あいまいな喪失」と呼びます。

震災遺構となった「たろう観光ホテル」(岩手県宮古市・2018年2月撮影)。17メートルを超えたとも言われる津波で4階まで浸水した。2016年に保存工事を終え、現在もすぐ近くで見ることができる。

心のプロセスが止まる

たとえご遺体が見つかり喪失が確実になっても、悲しみが軽くなるわけではないし、立ち直るにはそれ相応の苦しみと時間を要します。
ひたすら涙が止まらなかったり、何も手につかないほど辛かったり、そういう苦しみと向き合いながら、時間をかけて少しずつ日常を取り戻していくしかありません。
ただ、「あいまいな喪失」の場合、そういった一連のプロセスが止まってしまいがちなのです。
これが通常の喪失と「あいまいな喪失」の違いです。

宮城県内の沿岸自治体で仮設住宅がなくなるのが最も早かった岩沼市(2015年11月撮影)。それでも発災から5年の月日を要した。

私がこの言葉を初めて知ったのは震災後数年というタイミングでしたが、その後震災から9年を迎えた2020年にもテレビ番組で特集されていたのを見かけ、その時点でもまだ"現在進行形の課題"でした。
「プロセスが止まってしまう」ことによっていかに苦しみが長引くかを端的に表す事実です。

無理に解決法を探さなくていい

「あいまいな喪失」に遭遇してしまったとき、どうすればいいのか。
あるいは、周りの人が「あいまいな喪失」を抱えているとき、どう接すればいいのか。
答えは一つではありませんが、共通するのは「無理に解決法を探さなくていい」ということです。

湾内に小さな島が点在する松島(宮城県松島町・2017年12月撮影)。西行も松尾芭蕉も見たこの多島美は震災当時"自然の防波堤"の役割を果たした。

「乗り越えなきゃ」とか「区切りをつけなきゃ」などと考えなくても大丈夫。
急がなくてもいい、時間がかかってもいいので、少しずつ、誰かと話をしたり一緒の時間を共有したり、あるいは自分にとって居心地のいい場所に目を向けたりしていく。
そういう時間を過ごすうちに、少しずつ自分で自分のことを肯定する気持ちが芽生えてきます。
実は、人が喪失から立ち直るとき、そういった自己肯定感によって自分が本来持つ「生きる力」を取り戻すことが多いのです。
だから身の回りに「あいまいな喪失」を抱えて人がいる場合にも、「乗り越えさせよう」と元気づけるよりも、一緒に過ごす時間・話す時間をできるだけ取ってあげるなど、その人自身の中に前を向く力が戻ってくるのを待ってあげてほしいと思います。

地下鉄東西線開通とともに開館した「せんだい3.11メモリアル交流館」(宮城県仙台市・2016年3月撮影)。荒井駅構内にあり、無料で展示を見られるほか、団体で利用する場合はスタッフに説明を頼むことも可能。

「備え」が救うのは命だけではない

今回は、「あいまいな喪失」に焦点を当て、東日本大震災における言わば「心の復興」について書いてきました。
心の問題は災害が起きたあとの話だから起きる前には特にやることがない、と思われるかもしれません。
しかし実際には、発災後に心の負担になるのは親しい人との離別だけではないのです。
食べ物がない、電気・ガスが使えない、水が足りない、寒い……様々な物理的な苦痛が、体だけでなく心にものしかかってきます。
だからこそ「備え」が重要。
自分と家族の「命」と「心」を救うために、できることから始めてみませんか。

■この記事を書いたのは・・・サンキュ!STYLEライター植松愛実
本業の気象予報士と副業の料理人、2足のわらじを履く主婦。サンキュ!STYLEでは、身近な食材でできる時短作り置き料理やパーティー料理、簡単に彩りを増やせる料理のコツや、いざという時に備える災害食まで、「食」に関する情報を中心に発信。

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