【別れ】親を看取ったハナシ

2021/12/07
  • 食育アドバイザー。小学生~大学生までの子を持つ母ちゃんです。業務スーパーとKALDIが大好き。 もっと見る>>

サンキュ!STYLEライターゆずうさぎです。
少し前の話になりますが、主人の母が亡くなりました。
私は義母と仲が良かったので、今も本当に苦しくて落ち込むことも多いです。

親とはいつも元気でいつでも会える存在だと思っていました。

でも…そうじゃなかった。
今でも、「本当にこれでよかったのか」「もっとできることがなかったのか」とずっと自問自答しています。

コロナ禍で逢いに行けなかった日々

一昨年よりコロナ禍でほとんど実家には帰省できませんでした。
2年前は、まだコロナについて色々とわかっておらずとにかく「蜜を避けよう」「今は我慢しよう」ということで、とにかく帰省をやめる判断をしました。
(ワクチンもなかったので…)
両親はとても寂しそうでした。
母に「帰ってこないの」とがっかりした声で言われました。

病気の発覚

母はすい臓がんでした。すい臓がんは大変見つけにくいがんです。
少しずつ体調に異変を感じていた母ですが、ちょうどその時期新型コロナのワクチン接種が始まって、母たちの番が回ってくる頃でした。
予約ができていたので、どうしても接種をしたいと病院に行くのを我慢していたそうです。

ある日、体調がすぐれないことに我慢ができなくなって病院に行ったそうです。
そこですい臓に影が見つかり、精密検査を受けました。

結果が出た時、義父は電話口で泣いていました。

話し合う

実母が癌になって治療を受け今は元通りに過ごせている私は、義母にもセカンドオピニオンを勧めました。
他の家族もセカンドオピニオンを勧めました。

でも、母は拒否をしました。

本人が拒否をしている以上、無理強いはできません。

家族全員で見守ることにしました。

本当にそれでよかったのか…。

今でも時々考えます。でも、本人の顔を思い浮かべると(とても穏やかな顔をしていたので)よかったのかな…と思います。

最期の旅行

母の最期の願いは、父と私たち家族と義弟の家族とみんなで旅行をすることでした。
コロナ前、旅行をする機会はあったのですが私の息子がバイトがあったりして(子供が大きくなるとそれぞれの生活があるので無理は言えません)なかなか家族全員で旅行することはできなくなりました。

そうこうしているうちに、新型コロナウィルスが流行りだし行動も制限されて旅行どころか帰省すら困難になりました。

旅行と言っても、遠方に行くことはできず(コロナ禍でもあり、母の病気のこともあり)近場のホテルにみんなで泊まることにしました。

義弟がすぐに行動を起こしてくれて本当にありがたかったです。

高齢の両親がすでにワクチン接種を終えていたこと、両家族もそれぞれワクチンを打ち始めていたことも実行できた理由だったように思います。

母はとても楽しんでいました。
観光などもできなくて、それどころかほとんど部屋から出られなくて、横になっていることも多かったですが、一生懸命ご飯を食べて笑っていました。

「来年もまた来たいね。その時は介護付きかもしれないけど…」
と、笑って言っていました。

弱っていく

遠方だったこともあり、毎日母に会いに行くことはできませんでしたが、時間の許す限り母に会いに行きました。
自身のコロナワクチン接種も終了して、日本全体の新規感染者が少し減っていたこともありました。

母は「お嫁さんに介護をさせるなんて、申し訳ないから絶対に嫌だ」と頑なに拒んでいました。
私は、そんな事どうでもいいからお手伝いをしたかったです。

でも、私が無理やりお手伝いをすることに母が気をもむなら…とおしゃべりをしに行っていた感じです。

あとは、父にお料理を持って行っていました。

私がしたことはそれだけです。

母は、しっかり話すことはできました。
もしかしたら、苦しかったのかもしれないけど「痛くない」と言っていました。
ただ、ずっと寝ているので夜が長いと言っていました。

二人きりの時に、

「一日が長い。もう…楽になりたい」

とポツリと言われました。

私は母の顔を見ることができず

「そうですね…」

と小さい声で聞こえました。

眠りたい

母が望んだことでした。

もう、食事もできなかった母が眠ることを望み、訪問医師と相談の上睡眠薬を投与し睡眠薬が切れる頃に次を投与することに決めました。

亡くなるまで母は眠り続けることになりました。

最期に、近隣に住んでいてその場にいた義弟がビデオ通話をしてくれて、主人は母に会うことができました。

体を動かせなかった母が最期に主人に向かって手を振ったそうです。
その場にいた義父や義弟が驚いていました。

電話を切って、主人は大声で泣いていました。

私は、母の「楽になりたい」と言う言葉が頭をめぐり「これで楽になったのかな…」と決して返ってこない質問を頭の中でしていました。

母は次の日に亡くなりました。

とても穏やかで眠っているようで安らかな顔でした。

伝えたいこと

この話を書くのに、数日かけています。

私がこの話を書こうと決めたのは伝えたいことがあったからです。

一つは

病気というのはコロナだけではないということ

だから、どこか体調が悪いと感じたらやっぱり受診をしてほしいです。
健康診断も受けてほしいです。
これを読んでくださっている方が、父・母・夫・妻・子供・祖父母・友人などなど、どの立場であっても、あなたに何かがあった時悲しむ人がいることを思い出してほしいです。
どうかどうか、自分を大切にしてください。
そして健康を過信しないでください。
少しでいいから、自分をいたわる時間を作ってほしいです。

二つ目は

電話でもSNSでも手紙でも、何でもいいので遠方に住んでいる家族や友人と連絡を取ってほしいです。
会いに行くのが一番だと思いますが、まだまだ自由に色々な場所に行き来できないのは事実だと思います。
どうかどうか、「いつでも会える」と考えるのではなく声を聞かせるだけでもビデオ通話で会うだけでも、後悔しないようにコミュニケーションをとってほしいです。

私は比較的コミュニケーションはとっている方だと思いますが、それでも後悔しています。(仕事や子育ての忙しさで、連絡が行き届かなかった時期もあります)

まだまだ、移動が規制される日々は続きますが、お互いを思い自分のを愛しんで過ごしてほしいと切に願います。

計算中

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