【夫婦】離婚したいと思ったことはありますか?

2023/04/11
  • 食育アドバイザー。小学生~大学生までの子を持つ母ちゃんです。業務スーパーとKALDIが大好き。 もっと見る>>

サンキュ!STYLEライターゆずうさぎです。
私たち夫婦は、結婚24年目…もうすぐ銀婚式です。。。

実はその前に5~6年くらい(もう古すぎて覚えてない…笑笑)付き合っていたので、多分30年近く一緒にいることになります。

私はあまり人と喧嘩をしません(家族以外)。自分の感情を伝えるのがあまり得意でなく、だからこそ抱えてしまって爆発して…の繰り返しでした。
自分でもかなりね…めんどくさい性格だと思います。自分が男なら、多分私とは結婚しないだろうな…と本気で考えてます。

また、人に合わせることが苦手なので(かなり気分屋なので)そもそも結婚生活にも向いてないと思っていました。そんな私ですが、夫(当時は彼)の転勤を機に結婚することになりました。

唯一離婚を考えた時

夫と喧嘩するときは、時々ありますが…

本気で離婚を考えたことが一度あります。


すごくすごく些細なことなのですが…

私は、子どもは好きですが『妊娠期間』が苦手です。

一度流産したことがあること、つわりがとてもひどいこと、切迫早産をしかかったことがあることなどなどの理由があってとてつもなく不安になるからです。

私は、(自分が3人兄弟だったからか?)何の根拠もなくこどもは3人だろうと思っていました。特に「男の子が欲しい」「女の子が欲しい」という気持ちも最初からなかったので(むしろ、無事に生まれてくれ…という気持ちが強かった)、3人目が幼稚園に入ったら、「パートでもしようかな…」とママ友さんたちと話していたくらいでした。

そんな中、4人目を妊娠しました。
嬉しいよりも、特に3番目の子を妊娠した時のことを思い出し『不安』が勝ってしまいました(つわりがひどくて、子どもたちになかなかご飯を食べさせられなかったことや、切迫早産になり医者と入院するかどうかでもめたことなどなど…。私は両家とも親が遠方に住んでいるので頼ることができなかった)

そうこうしているうちに、つわりが始まりトイレから離れることができなくなりました。

その時に夫に

「あー…またかー」

と言われ、頭が真っ白になりました。

ただでさえ、はき続けてる中不安はピークになっていた時のこの一言が私の心を打ち砕きました。
こんな些細な一言が…と今なら思うのですが、一日の大半をトイレで過ごしていたあの頃は許せなかったのです。

一度、心が打ち砕かれると心を閉ざしてしまいます。

両親もそばにいない中、子供を幼稚園や小学校に送り出しながらつわりに苦しみながらどうしようもないモヤモヤを心で抱えてしまいました(今考えると、胎教に悪い…苦笑。。しかし4番目の子はすくすくと育ちました)。

もうこの人と夫婦でいたくない…と本気で考えました。

夫は、とても多忙な人だったので育児は私の仕事でした。流産や切迫早産の経験がある私は、ビクビクしながらそれでも子育てを頑張りました。そして…切迫早産になりました。

上の子たちを預けられないので、入院はせず自宅で安静にすることを条件に家に帰りました。

背に腹は代えられず遠方に住む両親たちにヘルプに来てもらいました。その時は本当に情けなかったです。
夫も家事を手伝ってくれました(本当に何もできなかったので、仕事から帰って洗い物や洗濯などをしてくれました)。
小さい子どもたちも助けてくれて、なんとか家が回っていきました。

私の性格の悪いところ…笑

出産した後、周囲は何事もなかったようにお祝いムードになりました。
もちろん、私のことも労ってくれて皆本当に喜んでくれました。

でも、モヤモヤは収まりませんでした。

結局、子育てをするのは私です。どうしようもない状態だったからこそ皆は手伝ってくれていたのです(各々の生活があるから、当たり前と言えば当たり前なのですが…笑)

私は、冷静になるととてつもなく性格が悪くなります。
今のままでは、経済的にも子どもを育てることはできない。。子供は全員私が育てたい。そして、一般的には夫は悪い人じゃない。むしろいい人。。離婚なんて言い出したら絶対私が悪者になる。。。と、考えました(余談ですが、私はサスペンス漫画やドラマが大好きです。あの時は若干ドラマのヒロインのようになってたのかも…笑)

そして、できるだけ「いい嫁になろう」と決めました。
浅知恵ですが、もしも離婚をしたときに自分の味方になってくれる人を作ろうと思ったんです(我ながら、この辺の思考が、ちょっとおもしろい)
また、子どもたちを超ママッ子にしようと思い子育ても頑張りました(私は、甘い母ではなくむしろ厳しい母でした。ただ全力で子供と接してました…笑)。

どうしても、子どもを預ける場所がなかったので仕事をすることはなかなかできなかったですが、その時出来ることを頑張りました。

ちなみに、夫のことを子どもたちが悪く言うことを絶対許しませんでした。いい嫁キャンペーンの意味もありますが、経済的に夫に頼っているので、子どもたちが偉そうなことを言うのは違うと思いました。

どうしても、経済的に自立することは難しかったので「熟年離婚してやるー。それまでに味方をたくさん作ってやるー。」とずいぶん気の長い復讐をしようと思ったのでした。

それから、10年以上経ち

そして、10年以上経ちました。
すると、不思議なもので段々と怒りは収まっていきました(当たり前と言えば当たり前ですが…)
そして、段々と夫との距離の取り方がうまくなったように思います。
幼稚園・小学校・中学校までは本当に子育てに突っ走り、高校になっても大学になっても子どもたちは心配。

そして、子どもたちが大きくなってくれたことで私の話し相手をしてくれるようになりストレスが溜まることもなくなったように思います。

夫は普通ですが、私はロングスリーパーなので寝る時間もバラバラです。
それでも文句ひとつ言われないので、とても楽になりました(余談ですが、私は家族全員に呆れられるほどよく寝ます。寝る時間も早いです…笑)

離婚したい気持ちもいつの間にか消えました。

離婚を回避するコツ

長いこと夫婦をしていると、めちゃめちゃ相手が許せなくなることはあると思います。
私は、離婚をすべきともすべきでないと思いませんが…どうやって頭を冷やしたかを書いていこうと思います。

・わざと相手が喜ぶことをする(相手に逃がした魚は大きいと思わせるため)
・相手だけでなく相手の周囲も大切にする(相手の周囲を味方につけるため)
・子どもに、「お父さんのいいところ」を言い続ける(いいお母さんだと思わせるため)
・相手の愚痴はきちんと聞いてあげる(相手に逃がした魚…以下略)
・相手の愚痴は絶対に相手の耳に入らないくらい相手と関係のない人にのみ言う(愚痴は言わないと爆発する)

…なかなか腹黒いでしょ(笑)

そうするとね…最初は口だけで言ってたけど段々と夫のいいところを認識できるようになるのです(自分で自分を洗脳してる気がする…笑)

これは諸刃の剣かもしれませんが…
・家事をしてもらってもお礼を言わない

私は、家のことは家族全員でするべきだと思っています。夫の仕事は会社で働くこと、私の仕事は子育て、子どもたちの仕事はそれぞれ学校に通うことかなぁとざっくり思っています。
家事はそこに住んでいる人がみんなで協力してすることが当たり前だと思います。
だから、手が空いている人がすればいいと思うし、お礼を言ってしまうと、「私の仕事を家族がしてくれたから礼を言う」という構図が出来上がってしまうと思い言わなくなりました。

その代わり(当たり前だけど)文句も言いません。また得意なことはその人に任せます(例えば、料理はほぼ私がします。また、子どもたちの勉強は私の方が冷静に教えられるので私が見ます。トイレ掃除は夫の仕事です。)。少々完璧主義なところがある私は、昔は夫が家事を手伝ってくれるのは嫌でした。でも「全部できるワケがないし、これは家族の仕事だ!」と開き直ったら気が楽になりました。家族が多いからできるのかもしれませんが…。

そんな感じで、来年には銀婚式をむかえます。

■この記事を書いたのはサンキュ!STYLEライターゆずうさぎ
中学生から大学生まで三男一女の4人の子どもを育てる母。
夫婦生活も24年目になり、来年には銀婚式を迎えます。紆余曲折はありましたが、何とか夫婦を続けています(笑)

計算中