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【東日本大震災から7年】被災体験の語り部になった/岩間敬子さん

2018/03/11【 ライフスタイル 】

津波で大きな被害を受けた岩手県・大槌町に住む岩間敬子さんは「語り部」。復興ツーリズム(※)の一環として、町を訪れた旅行者に、震災で起きたことや教訓を伝えています。語り部を始めたきっかけは、津波で父が行方不明になったことでした。

語り部って何? 今、町はどう変わった? 岩間さんに聞きました。

<Profile>
岩間敬子(いわま・けいこ)
1962年岩手県上閉伊郡大槌町生まれの55歳。家族構成は夫、長女(大2)、二女(高2)。震災で実家が全壊し、父は現在も行方不明。NPOが運営する「復興食堂」のおかみを経て13年から語り部ガイドに。復興支援のNPO「おらが大槌夢広場」の理事もつとめている。今の楽しみはNEWSの小山慶一郎さんを応援すること

「私が語るテーマは、『生きるための防災』」

――震災当日はどこで何をしていましたか?

パート先の工場で、これまで経験したことのない揺れを感じ、すぐ車で高台にある高校に逃げて助かりました。でも、家に残っていた父は波にのまれました。33年の昭和三陸地震津波と60年のチリ地震津波を同じ家で経験し無事だった父が、津波警報のたび「こごまで来ねえがら大丈夫だあ」と言っているのを聞き流していたことを悔やんでいます。


――大槌町では住民の約8%にあたる1277名が亡くなったり、現在も行方不明になっています。

津波が来たとき「避難場所」に逃げたのに命をなくした人。家に物を取りに帰り命をなくした人。この町には、数えきれないほどの後悔があると思います。どんなに高い防波堤を造っても、自然災害を100%防ぐことはできない。災害が起きても生き残るためには知識が必要と思い知りました。

行方不明のままの父の死亡届を出したのは津波の年のお盆。その後仲間と復興支援のNPOを立ち上げ、語り部ガイドになりました。ボランティアではなく仕事として、町に来てくれた人に津波の経験や教訓を伝える役割です。

▲ツアーは旧大槌町役場前から始まる。この建物にいた町長と職員40人が波にのまれて亡くなった


――どんなことを語るのですか?

私が語るテーマは「生きるための防災」。「前は大丈夫だったから」の思い込みは危険なこと。自治体が指定する「避難場所」や「避難所」は、必ずしも安全ではないこと。逃げたら後戻りしてはいけないこと。自分が助からなければ、人を助けられないこと……。

町を案内しながら、私や町の人たちの後悔や経験から学んだ防災を、企業研修や学生、子ども連れのご家族など600人くらいにお話ししてきました。

▲高さ22mに及んだ津波が轟音とともに山にぶつかり、濁流が町をかき回した様子を高台から説明する


――震災から7年。町の様子は?

町では震災の跡が消え始めています。旧町役場の建物は震災遺構としてメディアに何度も取り上げられてきましたが、取り壊しに向けた動きがあります。傷ついた建物を見てつらくなる人もいるし、維持にはお金がかかる。

でも、被害の痕跡が残った建物なしに、語りや記念碑や資料で出来事を伝え続けていくのはむずかしいとも感じています。時がたち、町が変わり、経験者は年を取る。教訓を風化させないためにできることは? 津波から7年、ずっと考えています。

▲町では死者・行方不明者合わせ1284名が犠牲になった。住民が役場前に建てた祭壇は祈りの場所

<注釈>
災害を経験した地域で、被災の様子や教訓を伝えるツアー。自治体やNPO、旅行業者などが主催している。代表的なのは、被災経験を持つ人がガイドを務める「語り部ツアー」。大槌町でのガイド料は60~90分で1グループ5000円(1人から参加可能)。主催は「おらが大槌夢広場」

参照:『サンキュ!』4月号「東日本大震災を経験した人の7年」より一部抜粋
撮影/久富健太郎(SPUTNIK) 構成・文/川上(『サンキュ!』編集部)

記事を書いたのは・・・

川上(サンキュ!編集部員)

モード系ファッション誌などを経て「サンキュ!」へ。昔はファッション・エディター、今はなんでも担当。高1と小5の母で、朝5時に起きてべんとうをつくるのが日課


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