

主人の父が亡くなりました。
大病から何度も復活した不死身の人。
夏から少しずつ変化が現れて、去年の暮れには穏やかな世界に心を移したお爺ちゃん。
静かに、眠るように穏やかな世界に旅立ってゆきました。
帰宅した子ども達にお爺ちゃんの訃報を伝えると
長男は大粒の涙。
次男は不思議そうな表情。
「神様のところに行っちゃったの?」
そうだよ。
神様が天国に来ていいよ。ってお爺ちゃんを迎えにきたんだね。
お爺ちゃんは「いい子にしてるかな?」って君達を見守ってくれるんだよ。
長男は大粒の涙。
次男は不思議そうな表情。
「神様のところに行っちゃったの?」
そうだよ。
神様が天国に来ていいよ。ってお爺ちゃんを迎えにきたんだね。
お爺ちゃんは「いい子にしてるかな?」って君達を見守ってくれるんだよ。





告別式の日。子ども達からお爺ちゃんに宛てた手紙を読みました。
長男「もっと、ずっと一緒にいたかったけど、これからずっと天国から見守っていてください。」
次男「天国ってどんなところですか。」
その問いかけに、住職さんが応えてくださいました。
※最初に、天国・地獄というのはキリスト教の表現で、仏教では浄土と冥土という表現になるというお話がありました。
浄土というのは、言葉の通じる世界。誰もが傷つかない、平和な世界。
冥土は、言葉の通わない世界。分かり合おうともせず、分かり合えない世界。
つまり、死後の特別な世界ではなく、私達が今いる世界と同じなんです。
家庭・学校・会社、自分のいる場所が心の通い合う場所であれば、浄土。
通い合わずに一方通行になってしまう場所であれば、冥土。
お爺ちゃんは、君達のいる場所が平和な場所であるように、
遠くの世界からではなく常に近くで見守っておられるんですよ。
だから、嬉しいときには感謝を、辛いときには助けを求めてください。
きっと力になってくれるはずです。
お正月、穏やかな表情で自分の世界にいた義父が
「爺ちゃん、またね」 息子達が言うとハイタッチの仕草をしました。
ハイタッチは義父と息子達の「おやすみ」「またね」のご挨拶。
きっと、息子達の声がお爺ちゃんに通じたんだと思います。
思い出したり、問いかけたりした時、義父のいる世界と家族のいる世界が通じるのかもしれません。
そう信じて、義父を偲びたいと思います。
今回は、私個人の宗教観でブログを綴らせていただきました。
宗教観はそれぞれの考えや想いがあると思います。
ご了承ください。
宗教観はそれぞれの考えや想いがあると思います。
ご了承ください。