こども達が葬儀に一から座って
参列するのは初めて。
騒がしいと迷惑がかかると、
控え室などで避けてきました。
が、
●人が死ぬこと
●死ぬという言葉の意味
●死ぬとどうなるかを伝えたくて、
初めから居合わせました。
こども達は
お経の時もボソボソ話しました。
食事も楽しそう。
親戚の同世代と楽しい様子。
ガミガミ言っても仕方ないけど、
ついつい言ってしまう。
ひいおばあちゃんだから、
いまいち実感が無いのは
仕方ないけど、、
告別式
棺に釘が打たれ、
私が泣くと、
抱っこしていた3歳の娘が泣きました。
ひいおばあちゃんとは
面識も、思い出もない娘。
なんで泣いてんの?
と、聞くと、
“おかあさんがないているから”
と、一緒に泣いて、
私の肩をぽんぽんと、慰めてくれました。
先日の記事で
トッププロガーのみい太さんが
言ってくれたように、
“涙を通じて伝わるもの”
が、娘にあったのかなと。。
はじめてこども達は
仏様の骨を壺に入れました。
怖がらずに。。
父の時、義母の時に避けた。
全てを終えた、
息子の感想は、
“死ぬって悲しいことやと思った。
だって、一生会えへんことやもん。”
ちゃんと伝わったかな。
隠さず、
省かず、、
ひいおばあちゃん、おじいちゃん、
義理のおばあちゃん、、
もう会えないけれど、
心に大切なことを遺してくれる
機会は省かず、
ちゃんと伝えるべきだと思った。
いい加減な嘘も、
もうやめよう。。
おばあちゃんがくれた
最期の贈りものは
私を母にしてくれたこと、
だったのなら、
大切にしないとね。
“人は、前者からバトンをもらい、
自分の人生を全うし
次へつなげる。”
私は次へ何を渡せるだろう、、
と、思うと
恥ずかしながら
今の自分ではダメだと、
思った、
大切な学びの時間でした。
辛いことには、
意味がある。
さむくても、
インフルエンザ流行っていても、
意味がある。
それが生きてるてことで、
有難いことだから。