2017/03/11 05:00
あの恐ろしい震災が起こった、3月11日がまたやってきました。

今年は2017年ですから、早いもので6年が経ったことになりますね。

復興支援に協力するため、こういった節目の時期には募金などをしたいと思っています。

聖書にこんな話があります。

マルコによる福音書12章41節から44節にある話です。

イエスが神殿にあるさい銭箱の横に座っていた時、たくさんの裕福な人が来て多くのお金を投げ入れていました。

そこに1人の貧しい婦人が来て、レプタ銅貨を2枚入れていったというのです。

レプタがどのくらいのお金に当たるかというと、当時の日給1デナリを5,000円と換算して40円を少し切るぐらいの計算になります。

2枚でも、80円足らずということになりますね。

当時、神殿には多額の献金をする習慣があったようですから、彼女のようにわずかなお金を捧げるのは奇異に映ったことでしょう。

しかし、イエスは弟子達を呼んで、こう言いました。

「あの婦人は誰よりも多くのお金を入れた。皆はあり余る中から入れたが、あの婦人は貧しい中から生活費全部を入れたからだ。」

別に、聖書を読めとかいう怪しい勧誘じゃありません(私、仏教徒ですしね)。

つまりは、献金は額より心だということです。

世間では著名なお金持ちの方が億単位の寄付をしたことが、しばしば話題にのぼります。

そういう話を聞くと、「自分が小銭をちょっと寄付したくらいでは、何も変わらない」とふてくされてしまいがち。

でも、お金持ちはそれだけの余裕があって寄付しているのです。

そのお金がなくたって、生活していけるのです。

そう考えると、あなたが必死でやりくりした中から絞り出した寄付金というのは、とても尊いものだと思いませんか?

私が小さかった頃、よく父がこんな質問をしてきました。

「働かないで1億円集めるのには、どうしたらいいと思う?」

私が首をかしげていると、父はニヤリと笑って、

「日本中の人に会って『1円だけください』と頼めばいいんだよ」

なるほどと思いました。

もちろん実際にはそんなこと不可能に近いですが、集団の力というのは計り知れないものがあります。

大金持ちがポンと寄付した1億円と、私達一般大衆が1円ずつ寄付して集まった1億円、どちらも価値は同じですよね。

そう考えるようになって、小銭を寄付することが恥ずかしいなんて気持ちはなくなってしまいました。

震災後は、行きつけの店にある募金箱にちょこちょこ小銭を入れていましたっけ。

その時のことを思い出して、先週から募金用に10円玉貯金を始めてみました。

レプタは薄っぺらい銅貨だったと聞きますが、10円玉も銅貨ですし、貨幣の価値も割と近い感じがします。

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普段しょっちゅう買い物に行かないため多くは集まりませんでしたが、それでも24枚貯まりました。

レプタに換算すると6枚分くらいかな。

小銭貯金は使う時に両替するのが面倒なのですけれど、募金にする場合はそのままで大丈夫なので助かります。

今度、近所の店にある募金箱に入れてくる予定です。

あとは、その土地の特産品を買うことで復興支援するという方法もありますね。

こちらにはそれなりの楽しみがあり、買い物好きな人には特におすすめです。

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生協で復興支援特集をやっていたので、その中から気に入った商品を買いました。

宮城県石巻市の工場で加工された、銀ダラの西京漬けです。

普通の切り身よりも少しお高めでしたが(手間がかかっているのだから当たり前です)、思い切って買いました。

甘過ぎず辛過ぎず、絶妙な味付けでご飯がよく進みました。

本当は熊本のものも買いたかったけれど、今回の特集では東北の商品しか扱っていなくて断念。

近いうちにどこかで熊本の物産展をやらないかしらと、目を光らせているところです。
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