2018/04/03 06:00
そろそろ新学期ですね。

不定期で書いているこの古文対策のためのシリーズ、いつの間にか10回目となりました。

9回目の記事はこちらです。
https://39.benesse.ne.jp/blog/2259/archive/401

今回は、学校ではあまり本格的に習うことがなく、うやむやにされがちな古典常識について書かせてください。


【勘違いされがちな古典常識】

古典常識なんて解釈のためには必要ないという理由なのでしょうか、学校で古典常識を教わる機会はかなり少ないです。

確かに、文法と単語を理解していれば訳はできますし大抵の問題を解くことができますよね。

なので、先生によっては全く古典常識に触れずに終わってしまう可能性も。

でも、そうすると生徒は変なところでちょくちょく勘違いを起こします。

昔の常識と今の常識は違うのに、今の常識に当てはめて文章を読んでいたら違和感を覚えるのは当然のこと。

やはりある程度は、古典常識について知っていた方が理解度が深まるものなのです。

というわけで、特に勘違いされやすい古典常識について、大きく分けて3つの項目ごとに説明していきましょう。

1.結婚

平安時代頃の結婚制度は、今とは大きく異なっています。

資料集を見ると、男性が3日間続けて女性のもとに通い結婚成立、「露顕(ところあらわし)」という儀式をする、といったことが書かれています。

しかし、しっかりと教えてほしいのはそこではありません。

平安時代の結婚の最大の特徴は、「男性が女性の実家を訪問することを続ける」という「妻問(つまどい)」の形式にあります。

結婚といえば男性の家に、女性が嫁としてもらわれてくるものだと思っていませんか?

平安時代はまるきり逆で、男性が婿入りするという発想だったのです。

男性は、最初のうちは手紙だけでやりとりし、しばらくすると邸の縁側のような場所に通されるようになり、そのうち邸内に入れてもらえるようになって…といくつかのステップを踏む必要がありました。

正式に結婚が認められると、男性は昼間も女性の家にいてよいことになり(自分の家に帰ることも可能)以後男性の面倒は女性の家でみることになるのです。

『蜻蛉日記』では、道綱母が夫の衣装をあれこれこしらえてあげていたことなども書かれています。

子どもが生まれた場合は女性の実家で育てることになりました。

こんな状況ですから、婿になる男性は女性の両親の目を気にしながら行動することになりますね。

意外なことに、女性側の方が強くなりやすい婚姻形式だったのです。

ただし、一夫多妻制ですから、男性は息抜きに正室(本妻)より身分の低い側室(妾)を作ってそこでやりたいようにさせてもらうというようなこともしていたようです。

『源氏物語』で光源氏が葵上と結婚していた時は、まさにそんな感じでした。

大臣家の姫君様と一緒にいたら息が詰まる、気楽になれる相手を探そうとあれこれ女性に手を出したというわけ。

それで大臣家から疎まれてますます足が遠のいていったよう。

ただし、平安中期くらいから同じ家に男性と女性が常に一緒に暮らすという婚姻形式も行われるようになります。

光源氏の息子夕霧が妻の雲居雁と結婚した時はこの同居婚でした。

それでも妻の身分が高い場合は妻側の実家の力が強く、夕霧が落葉の宮という女性のもとに通い始めると、雲居雁は怒って実家に帰ってしまうという事件が起こります。

結局、光源氏の死後にこの夫婦は何とか和解し、雲居雁と落葉の宮はどちらも正室としての扱いを受けるという形に落ち着くのです。

2.衣装

平安時代頃の女性の衣装といえば、「十二単」だと思う人が多いはず。

なので、常に十二枚も重ねて着るって大変だなあなどと思う方もいらっしゃるようです。

しかしこの「十二単」、正式名称ではありません。

十二単というのは後世につけられた俗称なのです。

正しくは、「五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)」などと呼ぶらしいのですが、「女房装束」という言い方のほうがしっくりきます。

貴人に仕える女房という女性達が主に着用していたので、こう呼ぶのですね。

基本的には、小袖という白い着物と袴を着て単という衣と打衣という光沢のある衣を着用し、その上に袿(うちき)というカラフルな衣を重ね、表着(うわぎ)を着た後に唐衣というチョッキのようなものを羽織り腰に裳と呼ばれるスカートのような飾りをつけます。

袿は五枚程度重ねるのが普通だったようで、十二枚というのはめったになかったようです。

標準的な女房装束でも20キロくらいの重さがあったらしいので(ゆえに正座はできなかったらしい)、さらにたくさん着たら自分の体重を超えてしまう可能性も。

つまり、こうなります。

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(雑なイラストですみません。衣装の柄や色は適当です。)

しかもあまり重ね過ぎると華美になるとのことで「重ねるのは七枚以下にしなさい」といったお触れが出た時代もあったとか(古い記憶なので数が曖昧です、六枚だったかも…)。

さらに、女房装束と呼ばれるようにこの衣装はお仕えをする人が着るフォーマルなものであり、普段着ではなかったのです。

では、女房ではなくかしずかれている姫君や奥方などはどのような姿をしていたかというと。

「袿姿」と呼ばれる、余計な装飾を省いた比較的簡素な衣装を着ていました。

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(夏は生絹(すずし)の単衣という、裏地のない衣を着ていました。薄い生地なので肌の色や肉付きが透けて見えてしまい、生々しかったようです)

このように、邸内に住む高貴な女性は割と楽な恰好で過ごしていたのです(ただし天皇の后となった場合は大臣家の姫君でも正装にしました)。

『あさきゆめみし』という漫画を読んだことのある方は、夕霧が嵐の日に紫の上を見て「あの方が紫の上様だ!」と思ったり、柏木が女三の宮を垣間見して「あのお方が女三の宮様…」とときめいたりする場面を覚えていらっしゃるかもしれません。

初対面なのにどうして一発でその人だと分かるのでしょうか?

どちらの場面でも、彼女達は何人もの女房に囲まれていたのにも関わらず。

それは、彼女達が着ている衣装が他の女房とは紛れようもない袿姿だったからなのです。

女房装束の人達の中にこれだけラフな姿をしている人がいれば、それは目立ちますよね。

男性の衣装についても、少し書かせてください。

平安時代の男性の装束というと、漫画などでは圧倒的に狩衣、もしくは水干(すいかん)が描かれます(『ヒカルの碁』の佐為さんとか)。

でも、貴族男子の正装は束帯で、普段でも直衣(のうし)という衣装だったのです。

狩衣は袖にくくり紐が付いていることからも分かるように動きやすくすることができる衣装で、もともとは馬に乗って狩りに出かける時に着たものでした。

水干は狩衣に似ていますが、主に少年が着ていたものです。

つまり、狩衣や水干はお金持ちがゴルフする時に着るポロシャツとチノパンのような感じのコーディネートだと思っていただければ良いと思います。

3.官職

官職、つまり平安時代の宮中での職業には神祇官、太政官、大蔵省などいろいろな種類がありますが、それらには位階というランク付けがついて回りました。

なので、この位階と官職を混同しやすいのですが、違うものだということをご理解ください。

位階には一位から八位までありますが、さらに正三位・従三位とか正四位上・正四位下などと正従や上下の区別がつくので実際には30種類にもなるそうです。

しかしながら位階と官職は連動しており(官位相当制)、この職に就くにはこの位階でなくてはならないという決まりがありました。

あと、同じ役所内でも上下関係があり、長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)の4つに分かれているのでややこしいです。

同じ部署内に部長、課長、係長、平社員がいるようなものなのだなあとくらいに思っていただければ充分です。

さて、ここからが本題。

重要な官職に就く人、出世する人はよほど優れた能力の持ち主だったのだろうと考えられがちですよね。

でも、必ずしもそうとは言えませんでした。

平安時代は身分、つまり家柄がものをいう時代。

上流貴族の家に生まれれば、ほぼ出世できることが決まっていたのです。

蔭位(おんい)の制といって、初めて叙位を受ける際にその人の父親や祖父の位階に応じた位階を受けられるという制度までありました。

官位相当制があるので、上流貴族の家の子は若いうちから蔵人頭(くろうどのとう)などの華のある職に就けたのです。

現在なら、たとえ部長の子どもであろうと入社していきなり課長などになるようなことはないはずなのですが。

『源氏物語』で夕霧が元服した際、通例より低めの六位という位階を与えられ不服に思ったというのも、こういう制度があったため。

ただし、下流貴族からしてみれば六位というのは決して低い位ではなく、蔵人所の下っ端である六位蔵人は栄誉ある職とされていました。

『枕草子』には蔵人所で長く見習いとして働いていた人が六位蔵人になることを、とても素晴らしいとほめたたえている箇所まであるのです。

ただし、身分と官職の関係には例外もあります。

有名なのは、菅原道真ですね。

宇多天皇が藤原家を遠ざけようとして、学者としてとても優秀だった菅原道真を重用したのがきっかけです。

その次の醍醐天皇の時代には右大臣となりましたが、その時1つ格上の左大臣の職に就いていたのが藤原時平という人です。

時平は藤原北家という藤原氏の中でも名門中の名門の家の御曹司で、彼が出世するのは当たり前と言えば当たり前。

ところが側には一介の学者に過ぎないはずの菅原道真がいて政治にあれこれ口を出してくるとなれば、うっとうしくもなりますよね。

その後、策略により道真が大宰府に左遷されたというのはよく知られている話です。

まあこれは例外の中でも際立っているのですが、何の罪もなく左遷された道真が可哀想に思えてなりません。

結局、何を言いたかったのか?

物語の中では主人公やその親族などがトントン拍子に出世していくことが多いけれど、それは彼自身の実力というより家柄によるものが大きかったのだよという話。


…長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただけたでしょうか。

この古文嫌いが云々のシリーズ、今回10回目という区切りの良い数字になりましたので、勝手ながらこれをもって終了したいと思います。

元はといえば中学生や高校生のお子さんを持つ母親向けに、「我が子が古文を嫌がるようなら参考にしてみては」くらいの気持ちで書き始めたものです。

ですが実際には、このブログを読んでくださる方は若いママさんが多く、子どもは未就学児から小学生くらいの人がほとんどです。

なのでお役に立てるかどうか分かりませんし、そもそも書くネタも尽きてきましたし、潮時かと。

とはいえ、このシリーズのファンだという方も数えるほどですがいらっしゃるので、今後は別の形で古文関連のシリーズを書くことを検討中です。

目下構想を練っている段階ですので、よろしければ気長にお待ちくださいませ。
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コメント(4)
内海さん、コメントありがとうございます。

>古文シリーズのファンの一人
その節はありがとうございます。

あの絵、伝わりましたかね。いまだ慣れない色鉛筆とともに格闘した甲斐がありました。一説には、重ね過ぎると60キロくらいにもなるとか。立つなんて無理だから這うしかないでしょうね…。

皇室のお方は伝統にのっとってきっちり女房装束を着ていらっしゃいますね。十二はとにかく多いことを表すのだという考えもあるので、十二単と読んでも差し支えないかと。

次のシリーズ、今いろいろと考えているところです。今までより広い世代に楽しんでもらえるよう企画中ですので、実現したらぜひまた語り合いましょう^^
by danngo 2018/04/03
mihoyamanaさん、コメントありがとうございます。

能力がなくても親が偉ければ出世できてしまうという構図、長い目で見ると心配なのですが大丈夫だったのでしょうかね。もちろん、身分が低い人も低いなりに悪あがき、じゃなくて努力しました。時の権力者に気に入られようと贈り物をしたりとか、便宜を図ってもらうよう手紙を出したりとか…。

清盛は父親の忠盛が築いた素地があったものの、武士として初めての太政大臣任官は異例です。平安時代の終盤でまだ貴族文化が色濃かった時代、周囲には相当疎まれたようですけど。

平家物語を全部読むのは大変ですしあれは武士の物語なので、王道の古典文学にも興味がおありなら『あさきゆめみし』などいかがでしょう。薄着の女性の様子なども上品に描かれていますし、私の雑なイラストよりずっと世界観が伝わると思います。

うーん、しばらく教職から離れていますが中高の教育はさほど大きくは変わらない気がします。変化が大きい印象があるのは、小学校の教科ですかね。あと、歴史は大分様変わりしているとか。

バッグの文章、私は何も考えずに買いました。
I'd like to do just whatever like the whole day long
とかあります。mihoさんなら解読できそうですね。
by danngo 2018/04/03
古文シリーズのファンの一人、内海舞です♪

今から古文を読む機会があるかはわからないけれど*^^*
古典作品の世界観が好きなので、
最終回(?)の今回は、とびっきり楽しく読ませていただきました〜♪

十二単が重すぎて「動きたくな〜い」という絵がとっても説得力があり、
クスクス笑ってしまった*^^*
座ったら最後、立てなくなりますね。
(私は身軽な服装でも立てなくなることありますけど…*^^*)

だい〜ぶ前に紀子さまが結婚の儀(でいいのかな?)で着ていらした着物(たぶん12枚はなかったので女房装束?)を思い出しました。

是非また、古典の世界観を綴ってくださいませ*^^*
by 内海舞 2018/04/03
danngoさん

こんにちは。

一旦終わってしまうのですね。古文シリーズ……。
春なのにお別れで涙がこぼれます。

結婚・着物の種類・出世、どれも大変興味深かったです。

特に出世、「親のコネ」どころの話ではないのですね。生まれたときから、どこまで出世するかが決まっているようなものでしょうか。
平清盛があそこまで自分をねじ込んだのは、すごいことなのですかね。すみません、古文がまだ平家物語に足を突っ込んだまま進歩なし、おまけに鎌倉時代の話だった気がしますが。

女性の薄い着物は、ちょっと想像するのはやめておきます。

古文……。教育における古文の位置づけも、変わっているのでしょうか。英語や道徳などの教科が増え、古文の扱いも変化していそうな。
塾講師をされている方に、英語・国語について話をうかがう機会があり、もうわたしが言及するのはやめようと、逃走中です。

シリーズ完結まで書ききったdanngoさん、すごい。
新シリーズも楽しみにしています。

あと、バッグに書いてある文が気になって仕方がありません。

mihoyamana
by mihoyamana 2018/04/03