2019/03/18 08:29
今回は、日頃の雑感からふと湧き上がってきたある思いについて書きます。

唐突に感じる人もいるかもしれませんが、気にしないでください。

花粉症が最も辛く感じる時期となりました。

我が家の近くにはスギの木が生えている森も多いので、ともすれば「この木を全部切り倒したい」という欲求に駆られます。

しかしながらよく考えてみれば、あちこちにスギの木をたくさん植えたのは他ならぬ私達日本人なのです。

いわゆる高度経済成長期に、樹木の中でも成長が早く建材に適しているスギを積極的に植林したため、現在日本の森林の半分近くが人工林。

そして林業の衰退によりまともに手入れもされず放置されているのですから、それは花粉も大量飛散するでしょう。

自業自得というわけです。

もし日本の森林のほとんどが自然林のままだったら、花粉症が国民病だとされることはなかったような気がします。

自然は自然のままで良いと思う心が、日本人にもっと強く残っていたら。

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先日、電車に乗って高台の公園に行ってきましたが、ここの森は手つかずのようで安心しました。

元来、日本人には「自然を自然のままの姿で愛する心」が備わっていたように思います。

高校生の現代文の教科書に採られることが多い『水の東西』という評論文が私は大好きなのですが、そこには日本人と西洋人の自然に対する向き合い方の違いが示されています。

日本人は流水の中に鹿おどしのようなしかけを作って楽しむけれど、西洋人は噴水を作ることを好むのだそう。

それは日本人が「流れている自然な形の水」を好むのに対し、西洋人は「圧力を加えて造型した人工的な水」を好む傾向が表れているともいえますよね。

西洋人はどちらかというと自然を「支配する対象」と捉えているように感じますが、日本人は自然を「共生していくもの」と思って生きているように感じます。

私は、日本人が古くから持っている自然への畏敬の念、畏れ敬い大切にしようとする心が大好きなのです。

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自然の中に暮らす人間なんて、本当はちっぽけなもの。

なのに西洋文明にどっぷり浸かった私達は、自然を意のままにコントロールできると勘違いしていることもあるのではないでしょうか。

私自身、天気予報が外れただけでイライラするあたり、自然の気まぐれを許せず気象予報士に責任を押し付けてしまう心の小ささを感じてしまいます。

科学の発展によって、複雑な数式を使い惑星の軌道を予測できるようにもなりましたが、この宇宙全ての出来事を把握できているわけでもありません。

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空の青と海の青、青く見える原理が違うから当たり前なのですけれど、こうして比べてみるとやはり色が違うなと実感します。

今更ではありますが、東日本大震災から早くも8年以上が経過しました。

多くの命が奪われたことを考えれば、自然に憤りを感じた人も少なくはないのでしょう。

ですが、自然に対して怒るだけでは先に進めないのも事実です。

自然の力に驚くとともに、その力に対して畏れ敬意を払う気持ちを大切にしたいものです。

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富士山だっていつかまた噴火する可能性がないとも言い切れないわけですし、何があってもおかしくないという心の備えは必要です。

地球の長い歴史を考えれば人類の繁栄なんて一時的なものにすぎず、いつかはヒトが滅亡してしまうだろうことも必然。

自然は私を優しく守り育てているものという感覚がある人もいるでしょうが、実際のところ私達人間は自然という大きなコミュニティの中に間借りして暮らしているに過ぎません。

そのことを忘れず、自然を征服したりコントロールしたりするよりかは一緒に生きていくのだというスタンスでいたいと思うのです。

とか書いておきながら、一昨日には公園の砂場に生えた雑草を娘と一緒に引き抜いていた私。

いや、遊ぶのに邪魔だと思ってしまって。

まあ、こういうのはですね、ケースバイケースというやつなのです。



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