2019/04/05 12:53
先日の座談会で体験した「ライフプランコーチ」のアプリについての記事は、諸事情でもうしばらくしてから公開いたします。

今回は、2月に受けた健康診断の結果についてざっくりご報告を。

全体的に見れば、さほど問題はありませんでしたが。

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やはり、胸部X線結果では所見が出てしまいました。

「呼吸器内科で精密検査してください」と指導が入りましたが、その前から呼吸器内科に通っていたのでとりあえず放置。

後日、その呼吸器内科に行ったので念のため聞いてみると、「そりゃあそうだよね、影があるもの」との答えでした。

「脊椎側弯」が気になりましたが、軽微なので問題ないよう。

BMIがやや低めなので栄養を摂りましょう、眼鏡の度数を上げたほうが良いのでは、という指摘もございましたが気にしておりません。

30代前半に悪くした肝臓の数値も問題なしでした。

でも、指摘はなかったけれど気になる数値があって。

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「肝機能」のところではなく、その1つ上の「糖(字がつぶれて見えにくい)」のところです。

正常値の範囲内ではあるのですが、その正常値上限ぎりぎりのあたりの数値なのです。

私、実は糖尿病の家系でして。

祖父は糖尿病による闘病生活の末に早逝しております。

多分、膵臓の機能がやや弱いのでしょうね。

加齢によって機能が落ちていくというのもあるのでしょうけれど…。

筋肉なら運動すれば鍛えられるのですが、膵臓はどうやって鍛えれば良いというのでしょう。

とりあえず、膵臓に負担をかけないよう甘いものや炭水化物の摂り過ぎに気をつけようと思います。


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2018/10/24 06:00
「出産して体質が変わった」という話、かつて私の母親世代がよく話していた気がします。

子どもの頃は大人達のそんな話をどこか嘘っぽく感じていた私ですが、自分が出産を経験してみて「あれは本当だったのだ」と分かりました。

ひどい時は起き上がるのもつらくて、息子の赤ちゃん用布団の横に寝転びながら過ごし、息子が泣き出したら這って近付き寝転んだまま授乳していたことも。

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ガラスの肝臓時代(前編)」の記事で触れましたが、アレルギー性肝炎のせいで体の機能がうまく働いていない状態だったようです。

娘を産んでからは授乳でかなりカルシウムを奪われたらしく、虫歯になりやすくなり食事中に歯が欠けてしまったことも。

ようやく授乳が終わったと思ったら、今度は喘息気味の体質に。

とにかく、ちょっとした環境の変化で咳が出ます。

気圧が低いのもダメ、気温の変化もダメ、強い香りもダメ、ホコリが多いところもダメ。

特に横になった時には必ずと言っていいほど咳が出るので、眠りが浅くなり困っています。

深夜の2時から3時までの間咳が止まらなくなり、子ども達を起こさないようリビングの隅に移動してひたすら立ったまま胸を押さえていたこともありました。

もちろん、何度も病院には行ったのですが咳止めを出されて終わり。

聴診器を当てられても「大したことないね」とか言われますし。

薬を飲めば症状は治まるのですが、薬が切れるとぶり返します。

しかも大抵3日分しかもらえないのですよね、薬って。

最寄りの病院まで子連れで行くと片道30分、気軽にほいほいとは通えません。

なので病院に行けない時は市販薬に頼ったり、飴をなめたり。

飴をなめている間は、不思議と咳が出ないのです。

なぜかは分かりませんが、咳止め専用の薬より風邪薬の方が効きが良いのが不思議。

とはいえ咳がひどかったピークの時期は夏になって終わり、今は少し落ち着いております。

だからといって万々歳というわけではなく、気付けば若い頃よりずっと疲れやすい体質になっておりました。

30代前半の頃はまだ良かったけれど、後半になるにしたがって加速度的に体力が落ちてきたような気がいたします。

これが老化というものなのでしょうか。

20代前半の頃は、毎日睡眠時間が3時間でも朝起きて外に出れば元気に動けたのですが、今それをやると1日で廃人と化すのが目に見えております。

私は悟りました。

残りHPが1の状態で滑り込むように村にたどり着いても、宿屋で一晩寝れば全回復しているRPGの勇者達のようにはなれないのだと。

あれはあくまでもゲームの世界の話であり、現実ではありません。

アラフォーともなれば、前日の疲れを次の日に引きずることは珍しくないのです。

ならばできることは、こまめに休むこと。

現在、我が家のリビングにはゴザが敷いてあるので、横になるとイグサのさらっとした手触りとほのかな香りが私を癒してくれます。

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リビング隣の寝室に行くことさえ面倒な時は、遠慮なくリビングでゴロゴロ。

でも、本当に限界だと感じた時は迷わず寝室に行き布団をかぶって寝てしまいます。

それで熟睡することはほとんどないので、まあ気休めですけれど。

今夜も、日付が変わる前に寝るとしますか。

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2018/09/05 14:36
息子が生まれた年にアレルギー肝炎になって入院し、退院後しばらく実家で静養した後。

体調は快復し比較的穏やかな生活が送れるようになりました。

翌年には娘を授かり、さらにその次の年に出産。

子育ての大変さはピークを迎えましたが、可愛い子ども達に挟まれて眠れる幸せをひしひしと感じておりました。

そうして、母親となってから3度目の夏。

身に覚えのある痛みが、急に私を襲いました。

床にのたうち回りながらも2年前のことを思い出し、休日だったため家にいた夫に「タクシーを呼んで、救急外来に連れて行って。できれば、2年前に入院した病院の方が勝手が分かるからいいと思う」などと伝言。

病院に着くとすぐさま、「肝臓の数値を調べてください」とお願いしました。

ところが、その時は肝臓の数値に大きな異常が出なかったのです。

タクシーを呼んで病院に行くまでに1時間以上要したこともあって痛みもおさまりつつあったため、その日はすごすごと帰りました。

その後、前ほどではないものの、同じような痛みに襲われることが何回か起こり。

病院に行こうかとも思うのですが、寝っ転がってあえいでいるうちに大抵の場合は痛みが通り過ぎてしまうのです。

むなしく帰った先日の記憶が思い起こされ、あの時の二の舞になるのは嫌だと我慢してしまいました。

そして8月の上旬に、再び大きな発作が。

慌てて実家に連絡すると弟と母が車で駆けつけてくれたので、私は弟の運転する車に乗せられ、母が家で子ども達を預かってくれました。

検査の結果、今度は肝臓の数値に異常ありとのこと。

「ああまたか」という気持ちと、「やっぱり!はっきりして良かった」という感情が交錯します。

日を改めて、親に付き添われながら検査のために何度か病院に通いました。

そうしてようやく原因が判明。

肝臓には血管腫というものが見つかったそうですがこちらは良性なので関係ないらしく、問題はその下にある胆のうの中にできた結石だったそうです。

うっすら残る記憶を掘り起こすと、2年前に超音波検査した時も胆のうに白い影が少し映り、「あら石があるわね。でもこれは関係ないわ」とさらりと言われていたはず。

おかしいなあと思い2年前の画像と今回の画像を比べると、2年前の影は小指の爪より少し小さいくらいなのに、今回は親指の爪より大きい影ができていました。

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(イメージ)

この石が胆管の方に流れて詰まると、胆のうや肝臓が炎症を起こすのだとのこと。

手術で胆のうを除去する以外、完璧に治す方法はないと言われました。

今まで経験した麻酔はせいぜい親知らずを抜く時などの部分麻酔くらいだった私、全身麻酔を要する手術は怖いとしか言いようがありません。

ただし、開腹手術ではなく腹腔鏡手術にするため傷口は小さくて済み、術後の快復も早いと聞いて少し安心しました。

手術は9月18日に決まり、その後も手術の説明や検査のために数回の病院通い。

子ども達の面倒をみてもらうため大阪から義父母を呼び寄せ、娘のお食い初めや4か月健診を手術前に済ませて17日に入院。

娘はやはり完全母乳で育てていましたが、手術後しばらくは母乳をあげられない(麻酔や鎮痛剤を使うため)ので、初めて粉ミルクを用意してもらうことに。

手術当日は、夫や子ども達はもちろん、私の父と母、義父母も病院に集結し、頑張れ頑張れと励まされながら手術室へ。

麻酔のための点滴が打たれ、針を刺した部分から腕にひりひりした痛みが走り、看護師さんがさすってくれたところまでは記憶があります。

その後、しばしの空白の時間。

たとえるなら、映画の中で場面転換される際などに挟まれる、数秒間の音のない真っ黒な画面のようなもの。

もしかしたら、死というものもこのようにあっさり訪れるものなのかもしれません。

そう考えるようになってから、何となく死に対して気楽に構えられるようになってきました。

そして、私の名を呼ぶ複数の医師の声。

手術が今終わったのかな、と重いまぶたを開けると、今度は遠くから家族の声が聞こえて心配そうに私を見る顔も目に入りました。

どうやら病室にいるようです。

体が氷のように冷たいことに気付き震えながら「寒い」とだけ言うと、慌てて看護師さんが温めてくれました。

ベッドや体にはあれこれ機械や管がつけられ、動くことすらままなりません。

その日は1日安静にし、翌日から歩けるように。

歩いた方がいいと言われていたので、左手で点滴の台を押し、右手で息子の手を引きながら病院の廊下をうろうろ。

娘のことが心配でもあったので、その翌日には退院しました。

しばらくは鎮痛剤が手放せず、仕方なく娘にはミルクを飲ませましたが、ミルク嫌いで1度に飲む量が50ccくらいにしかならず萎えました…。

後日、肝臓の数値を再検査したところ、見事正常値に戻り一安心。

その時に、摘出された胆のうの中にあった結石の一部をもらいました。

無題.png

「なぜこんなに黒いのか」と聞くと、「ビリルビンという色素が固まったから」という答え。

調べてみると胆のうの結石には「コレステロール結石」と「色素結石」の2種類があるらしく、私の場合は後者だったようです。

さて胆のうがなくなって大丈夫かという疑問がわいてきましたが、医師の話によると「胆のうは肝臓で作られた胆汁を溜めておくだけの器官。なくなっても胆汁は出るので、全く問題ない」とのこと。

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(分かりにくいので図示。胆のうの石が胆管に詰まることで炎症が起きていたそうな)

まさか胆のうが、そんな盲腸みたいな扱いだったとは。

というわけで、今はあの恐ろしい痛みに悩まされることもなく快適に過ごしております。

ただしアレルギー性肝炎のリスクはまだ残っているので、楽観視できませんが。

さて今回のブログを読んでくださった皆様、この病は決して他人事にはできませんよ。

というのも、胆のう結石のリスク要因として挙げられる「5F」の内訳は、「Forty(40代)」、「Female(女性)」、「Fatty(肥満)」「Fair(白人)」、「Fertile(多産)」だからです。

白人、という要素を持つ方は少ないかと思いますが、それ以外は『サンキュ!』読者層にあてはまる部分が多そうです。

特に、私のブログを読んでくださっているのはアラフォー世代の方が多いような気がしますからね。

脅すわけではないのですが、誰にでも起こりうる病気だと思っていてください。

人生50年の時代だったなら、私の人生はあと10年ほどとなりさほど体に気を遣わなくても良かったかもしれません。

しかし現在は、人生80年は当たり前(受け入れがたい)、ともすれば100年生きる人まで(想像できない)。

ガラスの器を優しく重ねるように、薄氷の上を渡るように、自分の体をいたわってあげたいと思うきっかけとなった出来事でございました。

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