2019/09/28 06:00
ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき

『小倉百人一首』の中で私が最も好きな、藤原清輔の歌です。

「生きながらえていれば、また今のことが懐かしく思い出されるだろうか。嫌だと思っていた昔のことが、今は恋しく思い出されるのだから」くらいの意味。

似たような趣向の歌として三条院の「心にも あらで憂き世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな」もありますが。

三条院の方は、絶望のどん底で詠まれた歌で諦めが強いですが、清輔の歌は現状を潔く諦めたうえでの未来への希望が感じられますね。

唐突に和歌を引っ張り出してすみませんでした。

私が冒頭の歌を好きになった理由は、子育ての経験によるものでしょう。

本当に明日自分が普通に生きられるかどうかの確証が持てないほど、苦しかった時期もありました。

そんな辛かった年月も、今思い返すとしみじみと懐かしいのです。

私のブログは子育てや発達障害、療育関連の記事が多かったので、育児に悩む親御さんの閲覧が大半を占めていたのではないかと思われます。

そんな皆様に贈りたい言葉が、先ほど挙げた歌なのです。

生きている時、苦しいことは山ほどあります。

どんなにあがいても変わらないことも存在します。

でも、良い意味での諦めとかすかな希望さえ持っていれば少しは楽になれるはず。

私の息子は、そこそこ厄介な発達障害の症状を持つ子です。

息子が障害者である事実、それは今後も変わらないでしょう。

でも数年後には今より成長した息子に出会えるだろう、という漠然とした希望を持って生きていきます。

ブログを読みに来て下さった方々には、本当に励まされました。

息子はサンキュに関わる人達に見守られながら成長したと申し上げても、過言ではありません。

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(コメントでよく励まして下さったacoさんに先日初めてお会いできました。嬉しかったので、記念に写真を投下)

心より感謝いたします。

現在では、心の余裕が生まれたせいか、目の前のことだけでなく少し先のことも考えられるようになってきました。

「私達の未来は、子ども達が安心して暮らせる世の中になっていくだろうか?」ということです。

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息子が大人になった頃には、できることなら…差別のない、戦争の起こらない、環境汚染もない、公正平等な社会になっていて欲しいと願うのです。

実際には、難しいことなのかもしれません。

私自身がそんな社会を作り上げようとしても、力が及ばないのは明らかです。

それでも、牛肉をなるべく食べないようにしたり、無農薬や減農薬のものを選んだり、募金や支援をしたり、省エネ家電を買ったりなど、わずかでもできることはあるかと。

今後は、現在私達が直面している問題に目を背けることなく、できる範囲で向き合っていきたいと思います。

そのためには積極的に知識を得て、それを発信していかなくてはなりません。

というわけで、いったんはブログ活動を休止いたしますが、今後新たにライターとして活動予定です。

しばし充電し、また別の形でお会いできればと。

インスタグラムもマイペースに更新しておりますので、遊びに来てもらえると嬉しいです。

ところで、冒頭に百人一首で一番好きな歌は藤原清輔の歌だと紹介しましたが、中高生の頃はまた別の歌が好きだと思っておりました。

そちらも紹介いたしましょう。

おほけなく 憂き世の民に おほふかな 我が立つ杣に すみぞめの袖

慈円という高僧が、疫病や戦乱などで苦しむ民を見ての「畏れ多いが私の力で民を救いたい」という決意を歌ったものだとされています。

格調高い調べの中に、若い僧の崇高な意志が読み取れるところが好きでした。

微力でも良いから人の役に立ちたいとどこかで思い続けるところは、変わっていないようですね。

私のブログ記事が、果たして皆様のお役に立てているのかどうか、はなはだ疑問ではございますが。

下らない記事を読んで笑ったり、この人ってドジねえとどこかで莫迦にしたり、そんな風にされて役に立つというあり方も良いかなと思うのです。

何も、人から尊敬されるハイパー凄腕ママでなくてはいけないということはありませんよね。

等身大の私を見て、「何だ、私はまだましだ。大丈夫」などと思って頂けていたら本望でございます。

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今まで本当にありがとうございました。
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2019/08/07 06:00
とっくに分かっていらっしゃる方が多いかとは思いますが、このブログは9月末日までで更新が終了します。

というのも、サンキュブログ自体が閉鎖されるから。

驚いた方も多かったのではないでしょうか。

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私は、息子が4歳になったばかりの頃に初めて『サンキュ』を購入しました。

それまでにおいても存在は知っていたのですが、買って読むだけの余裕がなかったのです。

多くのブロガーさんが関わっている雑誌だということを知り、僭越ながら私もわずかばかり参加できないものだろうか…、と公式ブロガーに応募。

その後幸運にもブロガーとなり、現在に至ります。

このブログは自分と向き合うための大切な場所。

それがなくなるということに関しては、いくばくかの寂しさや喪失感がございます。

しかしながら、最近はブログを書く人はもちろん読む人も減ってきているような気がしていて。

インスタグラムのように、ブログより迅速に反応や交流ができるSNSが人気になるのも充分に理解できます。

現代は、江戸時代なら10年以上かかって起こる変化が1年足らずで起こるくらいのスピードで移り変わっているのではないかと。

サンキュ!が発信の場をインスタグラムに移すとのこと、考えてみればやむを得ないことだったのですね。

ありがたいことに、私も今後は公式インスタグラマーとして活動させていただく運びとなりました。

そのことを意識して、さぼり気味だったインスタグラムの投稿を、今では少しまめにしております。

「@kitunedanngo」で検索するか、プロフィールにあるリンク(インスタグラムマークのボタン)をクリックすることでご覧いただけます。

投稿内容の多くが生き物と食べ物の写真という、需要があるのかよく分からない状態ですけれども。

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こんな感じで、散歩中に見かけた生き物などを撮るのが好きなのです。

あと、現在ある過去記事についてですが、私の書いたものは全て残ります。

ブロガーさんによっては、全消去ということもあるらしいのですが…。

私の場合、どうしても消すわけにはいかないのです。

なぜなら、私自身が過去記事を読みたいから。

「どんだけ自分好きなんだ」と呆れる声が聞こえてきました。

そうなんです、確かにそれもあるのですが、それだけではないのですよ。

子育て記事を中心とする私のブログは、かけがえのない我が子の成長記録。

時折振り返って、「そうだった、1年前はこんなのだった」と確認しておきたいのです。

たまに「私の記事ってば、今読んでも面白いわ」なんて自画自賛もありますが、お許しください。

さて、ちょっとしたお知らせです。

はっきりした日程はあえて書きませんが、近日中に夫の実家へ旅立つ予定。

その間しばらくブログの更新が滞るはずですが、元気に生きておりますので心配なさらないで下さいませね。
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2019/06/02 06:00
自己肯定感という言葉、最近よく聞きますよね。

この言葉、捉えどころがない上に自分にはあまり縁のない言葉のような気がしておりました。

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先日、たまたま書店の売れ筋の本を陳列しているコーナーで見つけ買った本。

どちらかというと、タイトルにある「敏感すぎる」というフレーズが気になって購入いたしました。

私はどちらかというと鈍感なタイプなので、敏感過ぎる人が何をどう感じているかを知りたいと思ったのですね。

ちなみにどのくらい鈍感かといいますと、陣痛に気が付かなかったほどです。

おかげで、初産だったのにも関わらず産院に到着した3時間半後には出産しているという異例の事態になったのでございました。

ただ、読み進めていると「敏感過ぎる人」というのは、私が当初想像したものとは違うというのが分かってきました。

お化け屋敷が怖いとか、夜の真っ暗な道を歩けないといった人(私はその逆)が敏感なのだと思っていたのですが。

そうではなくて、例えば他人の意見が気になって自分の意見が言えないとか、「嫌われたらどうしよう」と考え過ぎてしまうとか、とにかく他者の思惑に対して敏感な人を指すよう。

こういう人は自分軸ではなく他人軸で生きている人だ、ということが書いてありました。

そして、自分軸を持つことと自己肯定感を高めることは車の両輪のようなものであり、どちらかが動けばもう片方も動くということらしいのです。

私自身は、かなり自分軸で生きているタイプだと思います。

相手のことも大事にするけれど自分のやりたいことはやりたいと言ってみるし、他人が自分と違う意見を言ったとしても無理に合わせることはないし、人から嫌われることを極端に恐れてはいないし。

でも、自己肯定感は高くないと感じるのです。

腑に落ちないまま読み進めていきますと、罪悪感を持っている人の思考パターンについて書かれているところでふと「これ私」という直感が。

「自分はダメな人間、だから罰せられるべき」という考えが心の奥底のどこかにあります。

だからこそ、仕事で過酷な状況に陥ってもそれを嫌だとは言えないのです。

一時的に金融系の事務を扱うOLとして働いていた時期、私は「私は本当に使えない人間、まだこの仕事もあの仕事もできない、コミュニケーション能力が低い、集中力が足りない、要領が悪い」などと仕事用の連絡帳に毎日自分の欠点を書き連ねておりました(ノート1〜2ページ分も)。

最初は生真面目な先輩が教育係をしてくれたので、「あのね、習っていない仕事はできなくて当たり前だから気にしなくていいの」などとフォローしてくれていましたが。

その先輩が精神的に疲れてしまったらしく、別の強気な先輩が教育係に代わって風向きが一変。

「あなたは本当に使えないから、難しい仕事はしなくていいわ」と開き直られて、専門的な知識が必要な仕事は教えない方針に変わりました。

その代わり、朝は誰よりも早く来て雑用をこなし、内線電話は全て取り、重い荷物の運搬と整理をし。

他にもプライベートに関することで多少嫌な思いもしましたが、取るに足らないことです。

体力的に一番つらかったのが、紙で渡されたプリントの内容をエクセルの図形描画機能で完璧に再現するという仕事。

エクセルとは違うソフトで作られている見本と全く同じものを作るのは難しいのに、先輩はわざわざ定規を当てて「この列の線がずれてる。見本のは、この字の下にこの字があるのにあなたのは違う。細やかさが足りないの」と注意してくるので大変です。

しかも、私の頼まれた書類は先輩が後輩を指導するためにちょっと使いたい、といった代物なので優先順位は限りなく低く。

本業とは関係ない些末な仕事なのに緻密さが要求され、視神経を酷使するせいか体力全てが削られていきます。

帰りの電車を待つ間、ホームに立っていられず座り込み駅員さんに声をかけられたことも何回もありました。

それでも私は上司と面談すると決まって「私には能力がないので」と言っていた記憶があります。

「未熟な人間は待遇が悪いのが当たり前」という考えが、きっとあったのでしょう。

こういった部分がある人間は、他人軸で生きている面があるようです。

そして他人軸で行動する理由は、過去の体験にあるということが書かれていました。

私の場合、親、特に母親の教育が大きく影響しているようです。

母はまさに他人軸で生きる人の代表で、常に周りと比較し、嫌なことは我慢して後で見返りを期待し、「そんなことしたら嫌われるよ」が口癖。

私が幼い頃は、1つ年上の従姉と比べられるのが常でした。

「1歳しか違わないのよ、なのにもうあっちはあんなことまでできているのよ」などと事あるごとに言われていました。

教育熱心がゆえに過干渉気味で、周囲と比べて浮くことや体裁の悪くなることは最も嫌いました。

「誕生日プレゼントに顕微鏡が欲しい」と言うと「もっと小学生らしいのはないの?」と言われ、出先で偶然会った母親の友人に上手に挨拶できなかったという理由で烈火のごとく怒られていたのが印象的なエピソードです。

出かける時に自分で選んだ服を着ると、「そんなの着て行かない!」と全とっかえさせられるなんてのは、日常茶飯事。

きっと心配性がゆえに、子どものことをコントロールしたかったのでしょう。

しかしながら、そういったおせっかいは時として「私は何をやってもダメだ」と思わせる要因となるようです。

母としても悪気はなかったと思うので、別に母に変わってもらう必要はないのですが。

そういった過去の自分と向き合い、どう消化していくかが、自己肯定感を上げる鍵となるようです。

詳しく書くとネタバレとなってしまうので、ここから先は本をご覧ください。

私も、子どもの行動には口出しし過ぎないよう気をつけます。

以上やや暗い内容となりましたが大丈夫、今の私は元気です。



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