2018/07/09 06:00
以前、ごく一部の人に好評だった「我が子を古文嫌いにさせないために」というシリーズが終了してから、久々の古文ネタです。

「淑女に捧げる古典文学」というタイトルから分かるように、これは大人の女性向けの記事。

「我が子を…」は子ども達の古文の勉強の手助けにという気持ちで書いていたのですが、今後は女性の皆様から共感を得られそうな作品を私が選び、それについて自由に語っていくというスタイルを取ります。

記念すべき第1回のテーマは、藤原道綱母の半生が記された『蜻蛉日記』です。


【蜻蛉日記 〜セックスレスと2人目不妊に悩むセレブ妻の軌跡〜】

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まず、作者(藤原道綱母)の人間関係をざっと説明しましょう。

道綱母は藤原倫寧(ともやす)の娘で、藤原北家の血を引くものの権門からは外れ受領階級に落ち着いてしまっている一族です。

夫となる藤原兼家は有名な藤原道長の父で、まさに権門一家の御曹司。

将来出世が確実な家柄の男性であり、結婚できたのは幸運だったようにも思えますが、この身分の差が作者を悩ませた要因の1つとなりました。

また、兼家には時姫という正室がいて、作者はいわゆる第二夫人の立場にあったというのも大切なポイントです。

時姫は、道隆・通兼・道長・超子・詮子を産み、兼家の栄達に大きく貢献しました。

それに対し、道綱母が産んだのは道綱という男子1人のみ。

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『蜻蛉日記』は上巻・中巻・下巻の三巻に分かれているので、順を追って書いていきましょう。

1.上巻
兼家の性急な求婚話から始まります。

この時、作者の推定年齢は実年齢で18歳(数え年だとピンと来ないので、今後も実年齢で書きます)。

結婚成立の翌年、作者は妊娠し出産。

この時期の兼家は訪れが頻繁で、思いやりにもあふれていたように見受けられます。

しかしながら出産の翌月、兼家が帰った後、部屋にあった箱を何気なく開けると他の女性へやろうとした手紙が入っているではありませんか。

おそらく作者妊娠時から始まっていた関係。

作者の邸から出て行った兼家の後を家来につけさせると、町の小路に止まったと報告がありました。

兼家の新しい愛人、町の小路の女の出現です。

「なげきつつひとり寝る夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」という有名な歌はこの頃詠まれたもの。

兼家の来訪を鬱陶しく思った作者が門を開けさせずにいたら兼家が帰ってしまったので、少し経ってから作者が贈った歌だとされています。

兼家の返歌は「げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸もおそくあくるはわびしかりけり」と、戸を開けてくれるまで長く待たされるのもつらいものだと自分勝手な様子。

しかしながら兼家の気持ちは変わらず、町の小路の女は男子を出産。

しかも町の小路の女側で使う装束を作者の家に依頼して縫わせようとする無神経ぶり、怒った作者が布を縫わないまま返すと20日以上音沙汰なしときました。

当時の結婚制度で悲しいのは、夫婦が常に同居しないため夫の訪れがない=セックスレスが続いていると周りに分かってしまうこと。

まだ結婚して3年足らず、きっとつらかったに違いありません。

ただし、この後兼家が折れて通常ペースで通ってくるようになり、そうこうしているうちに町の小路の女は兼家に疎まれ産んだばかりの子も死んでしまいます。

この時、「私が悩んでいるよりも少しだけ多く、向こうは悩んでいるだろうよ」と思ったとあり、「すっとした」などとあるのが少し怖く感じます…。

そうしてこれまでに溜まった鬱憤を吐き出すように長歌を詠み、部屋の棚にこっそりと置いておくというのも、当時の女性としてはやり過ぎな印象。

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ライン全盛の現代において、わざわざPCから長文メールを夫のアドレス宛に送るくらいのテンションでしょうか。

そんな夫婦仲ではありますが、上巻では2回ほど、夫婦の親密さが増す幸せな時期がありました。

1つめは兼家が兵部大輔(ひょうぶたいふ)となり、兼家がこの職を気に入らず引きこもりがちだったため作者邸に長く滞在していた時期です。

2つめは兼家が重病となった頃のこと。

兼家は作者邸滞在中に苦しみだして兼家の邸の方で療養することになり、作者は「自分で看病できないのがもどかしい」といった気持ちでいるらしく、衰えかけた兼家への愛情が高まったように感じられます。

しばらくして兼家はやや快復、「長い間会わずにいたから、夜にこっそり私の家へおいで」と作者を呼び寄せます。

これは当時の常識としては異例ですが、作者は世間体を気にしつつも兼家に会いに。

その時の兼家の言葉や態度はロマンチックなもので、読んでいる側が気恥ずかしくなるほど。

しかしながらこれらの幸福な時期は兼家の昇進や快復によって、あっという間に終わってしまうのです。

そうこうしているうちに結婚15年目の年を迎え、作者は32歳。

30歳くらいになると、作者はしきりに物詣でをするようになってきます。

邸の中に引きこもって来るか分からない夫を待つよりも、神社などに参詣して気分転換を図りながら幸運を祈願する方が楽になれたのでしょう。

上巻の終盤は、初瀬詣での楽しい行程と兼家が途中で迎えに来てくれたことが明るく語られています。

しかしこの時期は兼家が蔵人頭(くろうどのとう)という人気職に任官された時期に重なり、作者の憂いは深まっていくのです。

上巻の末尾は「思うようにならない身を嘆いているので、(中略)あるかなきかの心地がするかげろうの日記と呼ぼう」と結ばれています。

2.中巻
年初め縁起担ぎとして「三十日(みそか)三十夜(みそよ)はわがもとに(月のうち30日と30夜、私のもとにいてほしい)」などと兼家に言ってやった甲斐もなく、突然長い夜離れが始まります。

夜は30日以上、昼は40日以上の訪れがなく、思い余った作者は逃げるように唐崎へ祓いに出かけます。

その留守中に兼家来訪、息子道綱に和歌を届けさせたものの音沙汰なし。

作者は嘆きのあまり「尼になりたい」と漏らし、道綱が「私も法師になります」と言って飼っていた鷹を放つという有名な話がこの後続きます。

そしてようやく、近江という新しい愛人の出現の噂を聞きつけるのです。

この時期に道綱が元服、と同時に兼家との関係が切れることを予感して作者の心は沈みます。

近江はとうとう正式に兼家と結婚、作者は憂愁のあまり鳴滝に籠り長い精進潔斎を開始。

しかし同行した道綱が精進によりやつれていき、そのことを口実に強引に兼家に引き戻されるのです。

またしばらくして父親に同行して初瀬参りに出かけ、そこでは楽しそうな雰囲気ですが、帰るとまた一転して沈んだ風情となり新年の準備も他人事と感じながら中巻は終わります。

3.下巻
兼家は大納言に昇進し、その頃作者周囲で幸運を示唆する夢判断が続きます。

息子道綱の将来を期待するとともに、自分に娘がいたらと考えた作者は養女を探すことに。

これまで作者はあちこちに参詣をしていますが、その理由の1つには子宝祈願があったようなのです。

いわゆる典型的な2人目不妊で、作者は36歳という妊娠が少し難しい年齢となっていたため、兼家の血を引く娘を引き取り自分のところで育てようと考え始めたわけです。

周囲の人に相談したところ源兼忠という人の娘のもとに兼家が通っていた時期があり、短期間で疎遠になったものの女は妊娠して女子を産んでいたという話を聞きます。

コネクションを駆使して滋賀に住んでいた女の子の母(兼忠の娘)に連絡をとり、その子を養女とするのです。

ちょうど女の子を引き取った日兼家が来訪、最初はごまかしていた作者も問い詰められ「あなたの子ですよ」と告げ、兼家を中心に人々が感動して涙を流すという物語のようなシーンが続きます。

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(兼家は赤子の頃の女の子に会えていなかったよう。再会と書いたけど初対面かも)


その後、兼家の兄伊尹(これただ)死去、兼家の勢力が増していきます。

作者の父親に勧められ作者は広幡中川というやや京の中心から離れた場所に移り住むものの、兼家の都合がつかずはっきりと告げられないまま事後報告に。

これはいわゆる離婚に近い状態で、作者はうっすら期待しているようですが以後兼家の訪れは絶え、衣装の仕立て依頼や道綱のことの相談などが手紙で寄せられるのみ。

その頃道綱は右馬助(うまのすけ)に就任し、道綱はそこの上司である遠度(とおのり。兼家の異母弟)に作者邸にいる養女について聞かれます。

さらに遠度は兼家を通して養女に求婚、来訪が始まります。

どうもこの遠度は作者にも気があったようです(女の勘でそう感じます)。

作者が養女との結婚をすぐに許諾せず先延ばしにしていたため、「姫君に会わせてくれないなら部屋の中に入れてくれ」と言って応対する作者に対し意味深な素振りを見せる場面もあります。

作者は美人であったことで知られ、優れた歌人でもあったので38歳という年齢でも魅力的に感じられたのかもしれません。

また遠度は身なりも整い美しい姿だったとあるので、接近戦に持ち込めば人妻(とはいえもう離婚したようなもの)でも口説けると思ったのでしょうか。

兼家は遠度がしきりに作者邸を訪れそれを作者側が歓待していると嫌味を言ってきたので、「もう自分は年老いた身で相手にするものなどいない」と作者が応酬します。

そうして、養女の結婚を約束した月が近付いたある日「遠度が人妻を盗み出して隠れ住んでいる」というとんでもないスキャンダルが露見、求婚の話は立ち消えに(遠度、人妻好き?)。

3か月後、近江が女子を産んだとあり憎く思うべきところを「無関心でいた」とあるあたり、作者はもはや達観しているよう。

しばらくして祭りで偶然兼家の一行に出会い作者の父がもてなしを受けているさまが描かれ、年末の述懐とともに日記は静かに幕を閉じます。


補足として。

『蜻蛉日記』には時々夢の話が出てきますが、石山詣でに行った時に見た法師が右膝に水をかける夢、長精進の時に見た蛇が内臓を食べる夢が有名です。

これらの夢は作者の抑圧された感情、特に性衝動が現れたものではないかとみる説があるようで、分かる気もします。

夫兼家のことを忘れようとすればするほど、内心では強く求めてしまう作者の姿が胸に迫ります。

また、女性というものはいつの時代も女同士の文通が好きで、作者はそこに慰めを見出していたよう。

特に兼家の妹、登子とは仲が良く折にふれては手紙を書いていたことが記されています。

時には使いを何度も往復させながら夜通し文通していた日もあったそうで、女子がメールで会話しているうちに徹夜してしまったような微笑ましい雰囲気があります。


『蜻蛉日記』というと、「夫の悪口と愚痴をひたすら並べたつまらない日記」と思う人もいるかもしれません(確かに読むと気が滅入る部分も)。

とはいえ、夫に頼っていくしかない立場の不確定さ、願うほどには多くの子を持てなかった悔しさ(特に時姫と比べて)、夫が自分の縫った衣装を着て堂々とふるまう姿をどこかで誇らしく思う気持ちなどが交錯し味わい深いものがあります。

皆様はどのように感じましたでしょうか。

長くなってすみません、次回はもっと短くします。

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