2018/08/26 12:00
40歳・専業主婦が書く、大好きな小説3作の話。

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小説ベスト3(mihoyamana選)!!

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1) 「カラマーゾフの兄弟」 ドストエフスキー

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言わずと知れたロシア文学の最高峰。

長く難解な小説ですが、ひとつの物語の中に、人間が持つ全ての感情(喜怒哀楽・愛憎etc……)が描かれていると思います。

これほど感動というか、ショックを受けたというか……、読み終わった後の気持ちは形容しがたい。


読後に知ったのですが、作者のドストエフスキーは、この物語の続編を書くつもりだったようです。

しかし、叶わぬまま逝去。


言われてみれば、続きを感じさせるエピソードが含まれています。

別の物語としてでも、続きがあるはずだった。

その意味で、今残っているカラ兄(「カラマーゾフの兄弟」の略称)は完成形ではないと思います。

にも関わらず、人間が持つ全てを包含している。

「未完にして完璧」

そのひとことに尽きる。


わたしが持っているのは、旧訳の文庫です。

字が細かくて読みにくいの。

しかもロシア人はひとりで複数の愛称を持っているようで、同一人物の名前が作中でころころ変わる。

一応「△△△(〇〇の愛称)」など書いてあるのですが、登場人物も多すぎて「誰だっけ?」と、すぐに迷子になりました。

途中から遡って確認するのも困難になり、話の流れで想像しながら読むしかないという、全神経と集中力を捧げて読み切った本です。


結構前になりますが、亀山さんという方が新訳を出され、劇的に読みやすくなりました。

登場人物の名前も統一されています。

最初に「(旧訳の)カラ兄」を読んだ後は、ことばにできない感動が押し寄せてきたのですが、新訳読了後は亀山氏の「カラ兄」に対する熱意と愛情に、感激したのを覚えています。


育児の間に読むような本じゃないかも知れませんが、生きているうちに読んでおいて損はない小説である、はず。




2) 「華麗なるギャツビー」 フィッツジェラルド

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1920〜1930年代頃のロスト・ジェネレーション作家の代表、フィッツジェラルドの名作。

同時期に活躍した作家は、ヘミングウェイがおなじみでしょうか。


本作は、主人公ギャツビーの隣人青年の目線で書かれています。

ロストジェネレーションの小説って、「弱虫男のかっこつけ」という印象で、時々読んでてうんざりするのですが、第三者的立場で語られるギャツビーは、純粋でひたむきで儚いオトコです。

要は「成金男が好きな女を手に入れようと大枚をはたいて自滅する話」なので、ギャツビーの一人称で書かれたら「男ってバカだな」を再認するだけのような気もする。


「華麗なるギャツビー」「偉大なるギャツビー」などタイトルを替えながら、いろいろな人に訳されてきました。

一番近いものだと、村上春樹氏が訳した「グレート・ギャツビー」かしら。


何度も映画化されているはず。

わたしは、ディカプリオが主演した「華麗なるギャツビー」を観ました。

作中の衣装・ジュエリーなどにプラダをはじめとするハイ・ブランドが協力。

ディカプリオが衣装棚から服を、ヒロイン・デイジーに向かって撒いていくシーンがあるのですが、降り注ぐ上等な洋服、泣きたくなるほど美しいです。

夜ごと開かれるゴージャスなパーティーも、ともかくキレイ!

この映画は、賛否あるようですがよかったらどうぞ。

わたしは好きです。




3) 「キャロル」 パトリシア・ハイスミス

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サスペンスの巨匠、パトリシア・ハイスミスが別名義で書いたレズビアンの恋愛小説です。

読んだ感想としては「恋愛小説」ではなく「女性の人生そのものを描いた傑作」。

肝心のハイスミスのサスペンス小説を読んだことがないのですが、本作にもその要素は見られ、話の展開もスリリングです。


19歳のアーティスト志望者テレーズと、美しい人妻キャロル(子持ち)。

ふたりの恋愛模様を読んでいると、「恋愛対象は男性」と当たり前に思ってきた自分を悔います。

恋愛は異性間でするもの・魅かれ合うのは異性である……、その思い込みと刷り込みで、すごく魅力的な女性を、人生の中で見逃してきたかもしれないと思うと、悔しくてなりません。

恋愛や人間として魅かれることに、セックスやジェンダーは無関係なのだと、教えられた作品です。


あとですね。

以前にも書きましたが、LGBT(性的マイノリティ)の恋愛も、「子持ち不倫」の恋愛も、バッドエンドを迎えがちなのです。

でも、「キャロル」はテレーズとキャロルふたりの未来と希望を感じさせる終わり方をします。

そんな結末を違和感なく描いたハイスミスは、すごい。


出版当時は、アメリカでもLGBTに対する偏見が、かなり強かった。

なので、ハイスミスの名前は伏せて別名義のまま読まれてきました。

当初、出版社によってつけられたタイトルも、レズビアンを皮肉ったものであるように感じます。

かなり経ってから、作者本人により「キャロル」と改題されました(確か)。


こちらも映画化されています。

アカデミー賞を受賞しているはず。

設定が少し違い、話が端折られている部分もありますが、すっごく素晴らしい作品です。

映像美と女優。

絶対オススメ。

小説読まなくてもいいから、映画を観て欲しいくらいオススメ。

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安定の写真へたくそ。


他にも「10代のころ読みたかったけど、自分の子どもには読んで欲しくない『特定必要有害図書3選』(mihoyamana選)」もあるのですが、写真もないし長くなるから割愛します。



8月ももうすぐ終わり。(現在8/26)

世の中のお母様方、お子さまの「読書感想文」は無事終わりましたでしょうか。


オトナも子どもも、年に一度の苦行「読書感想文」、お疲れさまでした。


本は必要に迫られてではなく、自発的に読みたいものですね。








mihoyamana
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2018/08/01 13:23
40歳・専業主婦が長年連れ添った本とお別れする話。

個人的な思い出話を記録として。




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20代半ばから30歳手前くらいの約5年間、本ばかり読んでいました。

理由は、「ヒマだったから」。


やることもなかったので、家に落ちている本を片っ端から読むことにしました。


本の虫を自称する母の本は、リビングに大量に置いてあったし、自室には買ったまま読んでない名作もあったから、読む本には困りませんでした。


母の本棚にはたくさんの村上春樹の小説がありました。

20代のヒマ極まりないわたしに、「村上ワールド」がクリティカル・ヒットしたのは、言わずもがな。

彼の小説・訳書・エッセイを読み漁り、そこから派生してロストジェネレーションの米文学、古いロシア文学……どんどん手を広げました。
(ついでにジャズまで聴くようになりました。)


そのうち自分が読めるものなら、誰が書いた小説でもよくなりました。

どちらかというと、当時のわたしは、できるだけ長編で、旧訳で、難解であるものを、好んだのかもしれません。

余るほど時間があったのです。


さらには「人生で読んでおくべき本100冊リスト」みたいなのを手に入れ、既読のもの、読了したものを「制覇」の印として蛍光ペンで塗りました。

何冊読めるのかという、己との戦いみたいな気分で始めたのですが、要はヒマだったんです。

結局、100冊中20冊も読めなかったと思うんだけど。



わたしは、心身ともに、わりに「根無し草」みたいに生きてきたように思います。

子どものころも数回住む場所が変わりましたし、ひとり上京した後も、数年間で何度か引越しをしました。

そのたびに手持ちの本は精査され、選び抜かれてきたはずなのですが、今も手元に数十冊の本が残っています。


最近、自分の居場所が欲しくて(青春)、専用ソファを買ってしまいました。(「専業主婦、部屋が欲しい。」参照)

半分物置だった部屋にソファを持ち込んだものだから、見える床面積が激減。

ソファの前には、物・もの・モノ。


このままでは「汚部屋の引きこもり主婦」になってしまいます。



衣類や雑貨など一通り処分したら、次は自分の本に目を向けるしかなくなりました。

「にわか」ハルキストだったので、なんだかんだで一番多い村上春樹の本から整理することに。

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*なぜか「ノルウェイの森」は持っていない。


「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」(文庫)と、フィッツジェラルドの邦訳2冊(文庫)。

「グレイト・ギャツビー」の訳書「愛蔵版」。

それから村上春樹訳の「おおきな木」の絵本を残して、手放すことにしました。

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次に海外文学。

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ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」、サリンジャー「フラニーとズーイー」、そしてフィッツジェラルド「華麗なるギャツビー」(すべて文庫)を残して、処分。

手放すスタンダールの「赤と黒」には、付箋が貼ってあります(青春)。

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余談ですが「赤と黒」からわたしが学んだことは、「男はバカである」と「不倫はしないに限る」でした。




それから、少数派日本文学。

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もともと冊数が少ない上に、テイストがバラバラです。

写っていませんが、わたしが唯一受け入れたエンタメ作家、森見登美彦の「四畳半神話体系」ともさようならです。


残したのは、吉本ばなな初期の作品「キッチン」と「TSUGUMI」(ハードカバー)のみ。


その他、バラバラだった本もまとめて、お別れの記念写真。


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わたしは大変頭が悪いので、何度同じ小説を読んでも、物語の筋が覚えられません。

印象に残る場面はあるのですが、ストーリーを説明しろと言われたら、どれもこれも、全くできません。

(「ノルウェイの森」は通算10回は読んでると思うのですが、それでもダメです)

読んでいる途中の、物語の中に身を置いたようなライブ感や、読了後のこみ上げる感動……そんな印象だけが残り、話がすっぽり抜けるのです。




ずっと本を読むことは、「安価で壮大なマインド・トラベル」だと考えてきました。


時代を越え、場所を越え、自分をどこにだって連れて行ってくれる。

そして誰にだってなれる。


どういうストーリーで、主人公がどんな顔かたちをしていて、どのような名前を持っているのか……。

そういうのは、わたしにとっては二の次三の次。

あるいは、ほとんど意味を持たないのかもしれない。


すみません。記憶力が悪いので、内容が覚えられないだけです。


恐らく、わたしにとっての読書は「体験」なのです。


わたしは、登場人物と共に時間を過ごし、物事を疑似的に経験し、感銘を受け、異論を唱え、救われた結果、現在のような生き物になりました。(残念感)

「本」自体は、具体化した「過去の体験」でしかない。

経験は無形のものだから、本という物質がなくても、それらを通して感じ、学んだことは、わたしの中から消えないと思いました。

消えてしまうことなら、もともとわたしには必要のない情報や記憶だったのでしょう。




スッキリ暮らすために、広く暮らすために、ミニマルに暮らすために「本を捨てる」という考えは、最後の最後まで、わたしにはしっくりきませんでした。


読書を通して得たものが過去実績として(実績でありますように)、今のわたしの中に存在する。


過去の読書は、すでにわたしの一部なのです。


大切に抱えてきた本たちが、目の前から姿を消しても、読書を経て今日の自分になったことに、変わりはありません。


ほとんどの本がなくなっても、わたしはもう大丈夫。


そう思えたので、わたしは「本」そのものを手放すことにしたのだと思います。




ヒマだった約5年間は、わたしの挫折と喪失の期間(ひとりロストジェネレーション)でもありました。

本は、時間を持て余すわたしに、寄り添ってくれました。

見たくない現実を、忘れさせてもくれました。

物語はわたしにたくさんの(架空だけども)体験、そして感動を与え、その後のわたしに多大な影響を(よかれあしかれ)与えてくれました。


充実した20代を過ごした方には、読書など必要なかったのかもしれません。

ただ、当時のわたしには、彼らの助けが必要だったのです。



現在、わたしはほとんど本を読みません。

そのことに、例えば家事が終わらないとか、育児に忙しいとかという理由は、要らないと思っています。


今のわたしには、読書という、物語に浸かって異世界へ行くという行為自体が、それほど必要ではない。

それだけです。

本を読まなくても、わたしなりに現実と向き合い、生活できる。

または、主婦として、妻として母として過ごす毎日から、たくさんのなにかを学んでいる。

わたしはそれで十分なのだと。

根拠のない自信だと一蹴されるかもしれませんが、今はそう、思います。



とはいえ、いつかまた、読書が必要になる日が来るはずです。

そのときにはまた、もう一度好きな本を探せば、いいだけ。



そういう気持ちで、段ボール2箱分の本を、本日業者に渡します。
(写真にはない、育児書や漫画、実用書なども合わせると2箱)


さよなら、本たち。

今までありがとう。


例えお金になっても二束三文。

もしかしたら古すぎて古本屋に並ぶことさえないのかもしれません。

けれども、あなたたちはわたしにとって、大きな救いで、支えでした。



いまこそわかれめ

いざ、さらば。








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2018/03/23 05:00
恩田陸「蜜蜂と遠雷」。1 の続きです。

読書感想文。


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わたしは、音楽の授業が苦手でした。


苦手なままきたので、特に授業で習うようなクラッシックにはかなりの抵抗があります。


一度それを払拭しようと買ったのが、なぜかマーラーのアダージェット。


曲の背景にあるストーリーは美しいはずなのに、ひたすらこころが不安定になる音楽。



モノにもよるけどジャズは聴くのです。


なので余計にクラッシックは予定調和の退屈な音楽という思い込みがありました。


ジャズみたいに自由じゃないので、ちょっと堅苦しいというか、重いというか。正装して集中して聴かないといけない感じ。


ものの本(この本)によると、クラシックにも「カデンツァ」と呼ばれるフリースタイルで弾いてよいパートがあるようですが、実際には事前にどう弾くかを決めておくのが通例だとのこと。

その場のノリ、即興で弾けない名ばかりの(失礼だわ)カデンツァ。なんて退屈なんでしょう。(失礼だわ)
絶対肘でピアノ弾いたりできないじゃん(アグレッシブなジャズは苦手です)。

作中では栄伝亜夜が本当に即興で弾いてのけるという技を披露しますが、他の演奏者は、あらかじめ準備をします。

各コンテスタントは、様々な制限の中で、どのように自分の世界観を表現できるか、新しいチャレンジができるか、伝えられるか、という戦いをします。あらゆる角度からのアプローチで自分だけのカデンツァを作り、弾く…そのプロセスを読むのは、とても面白かったです。


予定調和とかいってごめんなさい。



また、本選ではコンテスタントがオーケストラを従えて演奏します。
それはもう、コンテスタントがいかにオーケストラをけん引するかにかかっているというか…。

即興のセッション(本書では、栄伝亜夜と風間塵がコンクール外でやります)とは違う、ピアニストとオーケストラの駆け引き。
ピアニストの力量が問われます。
そこがまたおもしろ……(語彙ぃ!)


最後には、コンクールの審査結果が出るわけですが、奇をてらわない順位でありながら、物語として読者が納得できるようにまとめられるのはもう本当に恩田陸さんいろいろとごめんなさいなにかと煎じるので飲ませてくれませんか。

本選に残れなかったコンテスタントにも、キャラクター自身が希望や未来を感じる(だろう)結果であることも、素晴らしいと思いました。


連載物だったようで、各回にサブタイトル(っていうのかな)が付けられているのですが、それらが(全部ではないと思うのですが)様々な曲・音楽の名前で、タイトルだけでワクワクしちゃいます。
知っている曲名だと余計に。


クラシック音楽の曲名・種類・作曲者、専門用語は全く分からず、難しい単語(漢字)も調べないで勢いで読んで、
いつも通り、語彙が全く増えないままです。
あ、だいぶ前にコメント欄で知った「序破急」出てきました。

たひとりごちて、読書感想文にさえなっていませんが、

面白かった、序破急という言葉をゲットした。


長いけど素晴らしい小説でした。









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