サンキュ!公式ブロガーのdanngoさん
ご存知の方も多いのでは、と思いますが
とても博識&率直な方
わたしはdanngoさんの世界観が大好きです
そのdanngoさんが
昨日のブログで幸せについて考察していらして
朝読んでから
一日中頭から離れなかったのです
↓ 昨日のdanngoさんの記事 ↓
「幸せに形があるとしたら」
本を読んでいてごくたまにある感覚
「わたしは・・・?」
と考えてしまう時の感覚
私なりに何か書かないと
終われない気がして
考えながら何か書いてみようと思いました
頭の中だけで考えると、同じ思考がぐるぐる回ってエンドレスで・・・
そうこうしているうちに
danngoさんの今日の記事
コップ半分の水
がアップされて・・・(のんびり舞ペースなワタシ
)
さらにいろいろ考え込んでしまうというね(笑)
☆
「幸せに形があるとしたら」 by danngoさん
・・・幸せに、形があるのか〜
なんて思いながら読み始めると
とんでもなく深い内容で・・・
私は彼女のこんな考え方がとても好き♡なのです
形がある、というのではなく
むしろ形のないものを語るために
あえて形を求めてみたということみたい
danngoさんは空に浮かぶ「雲」
に譬えていらして
私は、「幸せ」というより「日常」を
海
に譬えて考える癖があるので
なんだか波長が合うな〜と思いながら読み進めますと
次は、心の中を「湖」に譬えていらっしゃる
う〜ん、ますます似ている(笑)
考えがシンクロしていきます

今日の空と雲と海@北海道
danngoさんのお考えは
私が書くよりも
実際に読んでいただいた方がいいので
こちらへどうぞ
☆
私は「しあわせ」という言葉を
よく使います
ずっと以前から使っていたわけではなく
むしろ
わりと最近使えるようになった気がします
今でこそ私は
「よく笑う人」
「楽しそうに笑いながら話を聞いてくれる人」
と言ってもらえるようになりましたが
子どもの頃の私はあまり(というか、ほとんど?)笑うことがなく
昔の写真を見るのが好きではありません
ちっとも笑っていないのでね
「笑わない自分」に気づいたのは高校生のときで
「笑わない自分」が嫌で
毎晩部屋で、鏡を見ながら「笑顔の練習」をしていたのですが
今考えると別な意味で笑える。怪しすぎ?
その努力のたまものか「笑顔」が苦ではなくなって
気がついたら自然に笑うようになっていたのです
学生時代に
「人は楽しいから笑うのではなく
笑うから楽しくなるのだ」
という言葉とその実験を知り
脳科学的に根拠があるのですよ〜
そうそう、ワタシ実感している〜って思った(笑)
☆
その後
danngoさんが今日書いていらっしゃる
「コップ半分の水と思考の癖」
私は「ボトル半分のワイン」と教わったけれど
こちらの方が気に入る方もいらっしゃる?(笑)
について教わり
当時はなるほどなるほどと思ったのです
「まだ半分残っている」
VS
「もう半分ない」
「まだ半分ある」と肯定的に思えるといいね
ってわけですね
ところがね
ある時ふと
この2択じゃなきゃダメなの?
と違和感を感じるようになってきたのです
danngoさんと同じく
「コップに半分ある」
というニュートラルなとり方
つまり、事実だけを述べるとり方
って大切なんじゃない?ってね
いいとか悪いとか判断しない受け取り方
「ありのままを受け止める」
とよく言いますが
まさにこれですね
いいとか悪いというのは
あくまでも自分の評価・受け止め方であって
それを主張することで
相手とのギャップが生じるかもしれない
自分で「ネガティブなこと」と思ったことも
相手にはちっともネガティブじゃないことや
その反対のこともあって
ミスジャッジとも言える「自分のとらえ方」は
ない方が楽だな
なんて思っちゃったのです
私はカウンセラーという仕事柄
「ありのままを受け止めること」
がとても重要なのですが
そのコツを体得しちゃった
感じだったのですね〜
ネガティブにとらえてしまう人に
ポジティブになれと言うのは無理がありますし
こちらがポジティブすぎると引かれちゃいます
そんな時にまず
事実を、感情や評価を入れずにとらえて言葉にする
それを繰り返していくうちに
ちょっとずつ客観的になれるのだと感じています
自分も相手もね
余談ですが、これ↑、反抗期の子にかなり有効です
☆
さらに今は
コップ半分の水の発展バージョンで
こんなふうに考えています

↑ デイリーサンキュ!にも載せさせていただいたものです
ママの力で子どもを笑顔に♪ 〜いいとこ探し
※文脈は今日のテーマとは違いますが
この絵は何だ?と言う方は、こちらに書いてあります
ない部分(ネガティブと捉えられやすいこと)をポジティブに
ある部分(ポジティブに捉えられること)をネガティブに
捉えることもできる
それは自分次第なのだと思います
たとえば「お掃除」
好きな人もそうでない人もいますよね
私にとっては「好きだけど苦手分野」です
得意/苦手はスキルの問題?
お掃除を
「綺麗になって気持ちいいな」と思えば
好きなことになります
「疲れるし大変」
と思えば好きじゃないことになってしまうでしょう
「なんで私だけがこんな大変な思いをしなければならないの
」
と思えばかなりストレスになるでしょうし
「家族のために心地よくしてあげられる
」
と思えば張り合いを感じます
同じことでも
考え方で良いことにも嫌なことにもなってしまう
「気持ちの切り替え」ってよく言いますが
気持ちだけを切り替えるのって無理なのでは?
なんて思うのですね
(興奮や怒りが収まる、とかはありだと思います)
「考え方を切り替える」ことができれば
きっと自然に気持ちも切り替わっていく・・・
この「考え方を切り替える」が難しいのですけどね
☆
日常を海に譬える癖がある
と初めの方に書きましたが
海はその日によって色々な色に変化します
実際の色が変化しているのではなく
その日のお天気(日光の具合)によって
違う色に見えるのでしょう
風の具合によって
波のたち方も変わります
波が高くて多くの人には危険と認知されても
サーファーには嬉しい波かもしれません
私は10代のころ海に潜っていて
海が大好きなのですが
台風の翌日の海洋訓練で
膝ほどの深さで死ぬかと思ったことが・・・
いつもはキレイ&楽しい海も
油断するととても危険なものに変化するのだと
その時に思い知りました
日々の営みの中で過ぎゆくことも
その時の自分の見かたで様々に見えること
時に(きっと誰にとっても)本当にしんどいこともあること
そんなふうにふと考えて以来
今自分の置かれている状況は
どんな景色だろうかと
海のある景色に譬えるのです
どんな海も、海
どんな出来事も、ただ起こっていること
それなのに
日常の様々なことに
「幸せなこと」「幸せじゃないこと」
私は「不幸なこと」と思った経験はないのでそれは含めません
と色(意味)を付けるのは自分自身なのかもしれません
「幸せじゃないこと」というラベルをつけてしまうと
本当に幸せから遠のいていってしまう気がするのです
☆
以前台風の時に柵が壊れたことを書きました

この壊れた柵を撤去したら
息子くんが
「わーい、近道ができるようになった
」
と、やけに喜びました(笑)
自転車は右側に置いてあるので直行できるように・・・
最近、雪かきをしている時に
「雪かきが楽になった
」
と、今度は私が喜ぶことに
緑の草が生えているところに
柵をまたいで雪を捨てるのが
結構重労働だったので
そして今度は、息子くんは雪の山に阻まれて
「わぁ、門を通らないと行けないじゃん
」と(笑)
今は車で送迎。車も右側にあります
そしてすかさず
「
また使ってもらえるようになってよかったね
」
と門に話しかけていた(笑)
むちゃくちゃ切り替えが早い息子くん
いいことと困ったことは表裏一体
「幸せ」は
いいことがあるとそう感じるのではなく
「幸せ」と感じるられる人が感じるものなのかな
なんか変な言い方ですが
☆
しかめ面や泣きっ面の時に
「幸せ」と感じることもないですね
「笑顔だから幸せになれるのか
幸せだから笑顔になれるのか」
なにげなく使っていた「幸せ」という言葉
考えれば考えるほど難しい事になってしまうね
深いテーマで、底も見えない
海みたいなテーマ
何が言いたいか自分でもわからなくなっちゃった
ごめんなさいm(_ _)m
「幸せ」に答えはないものでしょうから
皆さんそれぞれが
ご自分の「幸せ観」を作ってくださいませ〜(*^-^)/
わ〜、ずるい終わり方!!(笑)


あなたと
あなたの大切な人が
たくさんの幸せを
感じながら
過ごせますように

舞

ご存知の方も多いのでは、と思いますが
とても博識&率直な方

わたしはdanngoさんの世界観が大好きです

そのdanngoさんが
昨日のブログで幸せについて考察していらして
朝読んでから
一日中頭から離れなかったのです

↓ 昨日のdanngoさんの記事 ↓
「幸せに形があるとしたら」
本を読んでいてごくたまにある感覚
「わたしは・・・?」
と考えてしまう時の感覚
私なりに何か書かないと
終われない気がして
考えながら何か書いてみようと思いました
頭の中だけで考えると、同じ思考がぐるぐる回ってエンドレスで・・・
そうこうしているうちに
danngoさんの今日の記事
コップ半分の水
がアップされて・・・(のんびり舞ペースなワタシ

さらにいろいろ考え込んでしまうというね(笑)
☆
「幸せに形があるとしたら」 by danngoさん
・・・幸せに、形があるのか〜

なんて思いながら読み始めると
とんでもなく深い内容で・・・
私は彼女のこんな考え方がとても好き♡なのです
形がある、というのではなく
むしろ形のないものを語るために
あえて形を求めてみたということみたい
danngoさんは空に浮かぶ「雲」
に譬えていらして
私は、「幸せ」というより「日常」を
海
に譬えて考える癖があるので
なんだか波長が合うな〜と思いながら読み進めますと
次は、心の中を「湖」に譬えていらっしゃる
う〜ん、ますます似ている(笑)
考えがシンクロしていきます
今日の空と雲と海@北海道
danngoさんのお考えは
私が書くよりも
実際に読んでいただいた方がいいので
こちらへどうぞ
☆
私は「しあわせ」という言葉を
よく使います
ずっと以前から使っていたわけではなく
むしろ
わりと最近使えるようになった気がします
今でこそ私は
「よく笑う人」
「楽しそうに笑いながら話を聞いてくれる人」
と言ってもらえるようになりましたが
子どもの頃の私はあまり(というか、ほとんど?)笑うことがなく
昔の写真を見るのが好きではありません
ちっとも笑っていないのでね
「笑わない自分」に気づいたのは高校生のときで
「笑わない自分」が嫌で
毎晩部屋で、鏡を見ながら「笑顔の練習」をしていたのですが
今考えると別な意味で笑える。怪しすぎ?
その努力のたまものか「笑顔」が苦ではなくなって
気がついたら自然に笑うようになっていたのです
学生時代に
「人は楽しいから笑うのではなく
笑うから楽しくなるのだ」
という言葉とその実験を知り
脳科学的に根拠があるのですよ〜
そうそう、ワタシ実感している〜って思った(笑)
☆
その後
danngoさんが今日書いていらっしゃる
「コップ半分の水と思考の癖」
私は「ボトル半分のワイン」と教わったけれど
こちらの方が気に入る方もいらっしゃる?(笑)
について教わり
当時はなるほどなるほどと思ったのです
「まだ半分残っている」
VS
「もう半分ない」
「まだ半分ある」と肯定的に思えるといいね
ってわけですね
ところがね
ある時ふと
この2択じゃなきゃダメなの?
と違和感を感じるようになってきたのです
danngoさんと同じく
「コップに半分ある」
というニュートラルなとり方
つまり、事実だけを述べるとり方
って大切なんじゃない?ってね
いいとか悪いとか判断しない受け取り方
「ありのままを受け止める」
とよく言いますが
まさにこれですね
いいとか悪いというのは
あくまでも自分の評価・受け止め方であって
それを主張することで
相手とのギャップが生じるかもしれない
自分で「ネガティブなこと」と思ったことも
相手にはちっともネガティブじゃないことや
その反対のこともあって
ミスジャッジとも言える「自分のとらえ方」は
ない方が楽だな
なんて思っちゃったのです
私はカウンセラーという仕事柄
「ありのままを受け止めること」
がとても重要なのですが
そのコツを体得しちゃった


ネガティブにとらえてしまう人に
ポジティブになれと言うのは無理がありますし
こちらがポジティブすぎると引かれちゃいます
そんな時にまず
事実を、感情や評価を入れずにとらえて言葉にする
それを繰り返していくうちに
ちょっとずつ客観的になれるのだと感じています
自分も相手もね
余談ですが、これ↑、反抗期の子にかなり有効です

☆
さらに今は
コップ半分の水の発展バージョンで
こんなふうに考えています
↑ デイリーサンキュ!にも載せさせていただいたものです
ママの力で子どもを笑顔に♪ 〜いいとこ探し
※文脈は今日のテーマとは違いますが
この絵は何だ?と言う方は、こちらに書いてあります
ない部分(ネガティブと捉えられやすいこと)をポジティブに
ある部分(ポジティブに捉えられること)をネガティブに
捉えることもできる
それは自分次第なのだと思います
たとえば「お掃除」
好きな人もそうでない人もいますよね
私にとっては「好きだけど苦手分野」です
得意/苦手はスキルの問題?
お掃除を
「綺麗になって気持ちいいな」と思えば
好きなことになります
「疲れるし大変」
と思えば好きじゃないことになってしまうでしょう
「なんで私だけがこんな大変な思いをしなければならないの


と思えばかなりストレスになるでしょうし
「家族のために心地よくしてあげられる


と思えば張り合いを感じます
同じことでも
考え方で良いことにも嫌なことにもなってしまう
「気持ちの切り替え」ってよく言いますが
気持ちだけを切り替えるのって無理なのでは?
なんて思うのですね
(興奮や怒りが収まる、とかはありだと思います)
「考え方を切り替える」ことができれば
きっと自然に気持ちも切り替わっていく・・・
この「考え方を切り替える」が難しいのですけどね

☆
日常を海に譬える癖がある
と初めの方に書きましたが
海はその日によって色々な色に変化します
実際の色が変化しているのではなく
その日のお天気(日光の具合)によって
違う色に見えるのでしょう
風の具合によって
波のたち方も変わります
波が高くて多くの人には危険と認知されても
サーファーには嬉しい波かもしれません
私は10代のころ海に潜っていて
海が大好きなのですが
台風の翌日の海洋訓練で
膝ほどの深さで死ぬかと思ったことが・・・

いつもはキレイ&楽しい海も
油断するととても危険なものに変化するのだと
その時に思い知りました
日々の営みの中で過ぎゆくことも
その時の自分の見かたで様々に見えること
時に(きっと誰にとっても)本当にしんどいこともあること
そんなふうにふと考えて以来
今自分の置かれている状況は
どんな景色だろうかと
海のある景色に譬えるのです
どんな海も、海
どんな出来事も、ただ起こっていること
それなのに
日常の様々なことに
「幸せなこと」「幸せじゃないこと」
私は「不幸なこと」と思った経験はないのでそれは含めません
と色(意味)を付けるのは自分自身なのかもしれません
「幸せじゃないこと」というラベルをつけてしまうと
本当に幸せから遠のいていってしまう気がするのです
☆
以前台風の時に柵が壊れたことを書きました
この壊れた柵を撤去したら
息子くんが
「わーい、近道ができるようになった


と、やけに喜びました(笑)
自転車は右側に置いてあるので直行できるように・・・
最近、雪かきをしている時に
「雪かきが楽になった

と、今度は私が喜ぶことに
緑の草が生えているところに
柵をまたいで雪を捨てるのが
結構重労働だったので
そして今度は、息子くんは雪の山に阻まれて
「わぁ、門を通らないと行けないじゃん

今は車で送迎。車も右側にあります
そしてすかさず
「


と門に話しかけていた(笑)
むちゃくちゃ切り替えが早い息子くん
いいことと困ったことは表裏一体
「幸せ」は
いいことがあるとそう感じるのではなく
「幸せ」と感じるられる人が感じるものなのかな
なんか変な言い方ですが
☆
しかめ面や泣きっ面の時に
「幸せ」と感じることもないですね
「笑顔だから幸せになれるのか
幸せだから笑顔になれるのか」
なにげなく使っていた「幸せ」という言葉
考えれば考えるほど難しい事になってしまうね
深いテーマで、底も見えない
海みたいなテーマ
何が言いたいか自分でもわからなくなっちゃった

ごめんなさいm(_ _)m
「幸せ」に答えはないものでしょうから
皆さんそれぞれが
ご自分の「幸せ観」を作ってくださいませ〜(*^-^)/
わ〜、ずるい終わり方!!(笑)

あなたと
あなたの大切な人が
たくさんの幸せを
感じながら
過ごせますように

舞