ご訪問ありがとうございます
北海道胆振東部地震などの
災害から学んだことを
何回かに分けて
書かせていただこうと思って
綴っています
☆
一昨日の
地震後の停電のさなかの様子を
書かせていただきましたが → ☆
心の準備(今までのシュミレーション)よりも
備蓄よりも
テレビからの情報よりも
私にとって一番の力と学びになったのが
ご近所さん
だったと思います
一昨日書きましたように
我が家には
コンセント2口という
限られた
それでもとてもありがたい
電力がありましたので
ご近所さんに声を掛けさせていただきました
もっと早く気が付いていれば
カッコよかったのになぁ〜<(`^´)>笑
一昨日の様子は
そちらに書かせていただいたので
今日は別の角度から
人との繋がり
について
書きますね
☆
初めに
今回の地震のことではなく
もっと前のこと
大災害のことではなく
個人的に被災してしまった
友人2人について
エピソード紹介
させてください
≪エピソード1≫
昨年この地域が
暴風雨に見舞われたときのこと
大風と雨が収まってみると
我が家のフェンスが壊れてる
というハプニングがあったのですが
近隣地域の被害は
そんなものではなかったのです
大切な人の家や よく行く農家の産直の
納屋や プレハブ店舗などが
壊れてしまった
とか
国道を走っていたら
バス停や
バス停にセットである小屋が
寒さと雪に備えて?北海道にはよくあります*^^*
国道に
あるいは反対側に
歩道に
転がっていたり
転がったバス停数えたら
私が通った道沿いだけで18個!
しかしあの重たそうなのが転がるって!Σ(゚д゚lll)
そんな被害が
あちこちで見受けられたのですが
翌日会った友人が
なんとものんびりした調子で
「うちの屋根
飛んじゃったぁ〜」
・・・
って!!
? ? ?
・
・ 
へっ
のんびり言ってる場合じゃないんじゃ・・・
仮にその友人を
Aさんとします
Aさんはちょっと
おっとりのんびりした友人ですが
お友達がとっても多い人です
とっても優しいからね
穏やかなのに 熱いところもいいの♪
私とは
うちに泊まりがけで
飲みに来てくれる仲です
オールナイトはいたしませんよ*^^*
そういえば私が行ったことはなかったなぁ
その日からしばらくは
車で30分くらいの場所にあるご実家に行き
ご実家から出勤
その後
住む場所が決まって
勤務先の近くに戻って来ましたが
その時に
家財道具のあれこれを
いろんな人に
融通してもらえたとか
暴風雨の中屋根が飛んでしまったので
家の中は
当然水浸し
すべてダメになってしまっていたので
一新しなければならなかったのでね
いい関係の人が多いほど
励ましの声や
救いの手が
差し伸べられるんだなぁ
Aさんがコツコツと
積み上げてきた人間関係の
賜(たまもの)なのね
感心して
彼女を見ておりました
≪エピソード2≫
エピソード1よりも
もう少し前のこと
ある晩
枕元の携帯が鳴りました
0:30を過ぎた頃
私、そんな時間に電話を受けることなんて
ありませんよ〜( ̄▽ ̄;)笑
電話の向こうにいた友人
仮にBさんとします
Bさんがいきなり切り出しました
「今、うち、燃えてる」
? ? ?
・
・ 
はいぃ〜〜
寝ぼけていましたよ、私
寝ぼけていましたけど・・・
夢は見ていませんよ
ちゃんと起きていました
ってか
起こされていました
で、いきなり目がばっちり!覚めました(@_@)
何を言われているのか
わ・か・ら・な・い〜〜〜
なんと
貰い火事に遭ってしまったそうです
「今夜 寝るとこなくなっちゃった
泊めてもらえる?」
そりゃ〜
いくら真夜中だからって
焼け出された人を
「し〜らないっ」
ってするほど
薄情じゃありませんよ〜( ̄▽ ̄;)
こんな時に
独りにしちゃぁ いけませんっ!
(`・ω・´)
「もちろん! いつでも!! 何度でも!!!」
いや、何度でもはダメです!絶対!
こんなこと何度もあったら困ります!!
消火が済んで
警察かな?
事情聴取じゃなくって
なんて言うんだろう?
とにかく聞き取りも済んで
それから30分以上かけて
来ました
Bさんは
親しいけれど
我が家に来るのは初めてだったから
一緒にご飯食べたりはしてたけどね
それから私がお邪魔することもあったけどね
わかりやすいところまでお迎えに行ったのは
電話から3時間後
本当にお疲れ様でした_(._.)_
真夜中だったから
まずは身近な人から順に
電話をかけてみたそうです
最初に電話が通じたのが
私だったんだって
「ホテルに泊まることも
考えたけど
そっちの方が簡単だとも
思ったんだけどね」
「独りでいたら
ろくなこと考えないかもしれないから」
ってBさん
きっと大正解!
困った時に
ちゃんとSOS出せる人です
私だけじゃなくて
他の人も含めて
友人を
心から信頼しているから
自分のことも
信頼しているから
SOS
出せるのだと思いました
そうじゃなかったら
夜中に友人を起こせないよね
SOSの発信、私はちょっと苦手です
見習わなければ・・・
それ以来ますます憧れ
Bさんと1時間くらい話したら
「眠くなった」って
え?眠れる?
本当に眠っていました
めっちゃ心がタフでもあるのね
私なら無理だわ〜( ̄▽ ̄;)笑
Bさんは
翌日さっそく
仮住まいする場所と
1か月もしないうちに
転勤で家具がいらなくなるという同僚から
次に住む場所と
家具をそっくり譲り受け
そちらに移っていきましたが
やっぱり
友人が多いという強みが
困った状況を最小限にして
たくましく
復活していきました
そのしなやかな強さと人脈と行動力に
憧れます
☆
AさんもBさんも
個人的に被災してしまったのですが
ちなみにどちらも「お一人様」仲間♪
人と繋がる力が
最高の強みになって
困難を
いとも簡単に
・・・ではなかったのでしょうけど
あっという間に
クリアしたのでした
見せつけられた?お二人の
素敵な力
から
学ぶところは山ほどあって
人を大切にしようと
ますます思うようになりました
☆
もう一つ
私にとって大切な
エピソード(言葉)があります
約35年間
ずっと大切にしている
父が教えてくれた言葉
父は私が中学生の時に亡くなっていますので
今思えば
中学生の娘(私)に
意図を持って伝えてくれたことです
そんな大切なエピソードが
片手で数えられるくらいですがある
その中の一つです
「人はね
調子がいいときは
たいていのコトが
うまくいくんだ
問題はね
ピンチの時だよ
ピンチの時にどうするかで
その人の
本質がわかっちゃうんだ」
もうね
私の中で
ずっとずっと
何度も何度も
繰り返し
味わっている言葉です
たぶん父は
ここまでは言っていなかったと
思うけど
自分のピンチの時だけじゃなく
隣の誰かのピンチの時にも
あてはまる言葉
自分のピンチの時に
どうするのか
無限にある行動レパートリーの中から
何を選び取っていくのか
人は黙って見ているよ
自分も感じているはずだしね
これ、自尊感情に影響しますね
そして
大切な誰かのピンチ
隣の誰かのピンチ
そんな時も
どうふるまうのか
その人の本質が
一番表れてしまうから
自分の行動に
責任を持ちなさいね
そんなふうに
教えてくれたと
解釈しています
ピンチの時に
見事だった友人たち
ピンチの時は
そのふるまいだけではなく
自分が
何を大切にし
どう生きてきたかが
わかってしまう
それを実感
怖いような
でも
友人たちのように
今まで以上にリスペクトする
きっかけになったり
☆
今回
北海道中の人たちの
大ピンチでした
繋がる力が
いかんなく発揮されている人たち
繋がる力に
助けられた人たち
たくさんいると思います
私も
優しい声を掛けてくださる方が
いてくれたから
「独りじゃない」
って心強く
心を保てました
だからこそ
「近所に声を掛けよう」
という気持ちが
自然とわいてきたのだと
思います
「家族(子ども)が多い人
大変だろうな」
「お一人暮らしの
少し高齢の方
心細いだろうな」
気付くのは遅かったけど
気付けて良かった
実際声を掛けてみて
喜んでもらったり
ホッとしてもらったり
いざの時にその手があるのね!と
知ってもらえたり
今後もピンチの時に
この人がいるなと
思い出してもらえたらいいです
そんな自分でいられるのなら
すごく嬉しいと
今回のことを通して思いました
☆
そして
この3日くらいで
ゆっくり考えました
西日本はじめ近年の豪雨災害時
熊本・東北・中越・阪神淡路などの震災時
北海道にも火山があって
火山は日本中にありますけど
火山噴火で避難命令が出た時のこと
「今!避難所に行こうかどうしようか」
悩む人がいるわけですよね
住むところが
無くなってしまってからのことじゃなくて
危険が迫っていると知った段階のこと
震災時は
余震が収まりかけてきたと感じた時もそうですが
もしも知り合いが多ければ
避難所に向かいやすい気がします
でも
もしも
「避難所に行っても知り合いがいないだろうし」
と思ってしまったら
避難所は
わずらわしいことや不自由なことが多い
ストレスフルな場所と
感じてしまうのではないかしら?
ご近所さんに
「一緒に避難所に行きましょう」
って言われれば
「独りきりにはならないだろうな」
「頼りにできる人がいるなら
そちらの方がいいかな」
と思えるのではないかしら?
自分からよく知らない人に
または
自分が迷惑かけてしまうかもしれない
と思ったときに
「一緒に逃げて」って
言いにくいものじゃないかしら?
だから
元気な側から
動こうと思う側から
身軽な側から
「行きましょう」って
声を掛けないとね
「行きましょう」が
「生きましょう」に
繋がるかもしれないから
普段から
ご近所さんと繋がっている人ほど
ピンチの時に
当たり前に
人を想う行動が
できる気がしました
そして
ご近所さんと繋がっている人ほど
周りから声も掛けてもらえる
というのも
また事実だろうと思います
今回私が声を掛けさせていただいたのは
今まで私や息子に
優しい声を掛けてくださったり
助けてくださった方々
近所の「持ちつ持たれつ」が
あるところですね!
幸せな環境です
それなのに
私にはまだまだ
自分から繋がる力が
弱かった
無かったわけでは
ないと思うけど
声か怪我遅かった
ということは
繋がる力が足りなかった
もっと
ご近所さんと繋がる力を
磨かなければ
そう思いました
これじゃぁ まだまだ
父には
「それでいいよ」って
言ってもらえないナf(^^;)
☆
反省ばかりではありませんよ
発見もありました(^▽^)/
今回この地域の被害は
避難所に行こうか?
というレベルでは
なかったのですが
停電はもちろんあったけど
この微妙な頃合いの時に
我が家って
近所の防災拠点になれる
って気づいちゃった
もちろん個人宅だから限界はあるけれど
一人だから身軽
電気が使えるから便利
広さもそこそこあるから気兼ねが少ない
みんなが集まったら窮屈だけど
拠点にして出入りすれば大丈夫だと思う!
だけじゃないのです
ちょっと話はそれるけど
実はね
圧力なべでご飯を炊いてあげて
次の日の朝の分のお米も預かって
炊いておいた友人から
後半部分のエピソード、一昨日は触れなかったけど
圧力なべが返ってきて
パカッと開けると
中には

お米とチョコが
実は我が家の白米は
その日で使い切っていました
発芽胚芽米と発芽玄米があるから
大丈夫!
って思っていたんだけど
このお米は 助かる〜
70代の方々からは
それぞれ



ミニトマトは 撮影時 半分消費済み
もう、「エビで鯛を釣っちゃった〜」f(^^;)
って言う状態
ご飯の炊き上げまでいかず
一歩手前で断念した友達には
その後、土鍋ですぐに炊きあがった〜♪って言ってくれた( ̄▽ ̄*)

「冷凍庫のこれ、ダメになりそうだから
食べて〜」って
炊けなかったじゃん!
なんか申し訳なかったし
エビタイで いただいたものは
私一人じゃ充分すぎるから
梨とトウモロコシ(蒸したもの)を
半分おすそ分け( ̄▽ ̄*)笑
でね
特にお米をいただいて気が付いたのです
「うちには無くても
よそにあったりする、ね
」
って
もしもうちを防災拠点にしていたら・・・
※ここからは妄想です( ̄▽ ̄*)笑
「わぁ、お米足りない
」
「うちにあるから、持ってくるよ〜
」
「せっかくあるのに
融けちゃったらダメになるお肉
焼いてみんなで食べちゃおう
」
「それならうちにもあるある!
」
そんな緊急時に焼き肉パーティーしていい?笑
「果物はうちからね」
「じゃあお野菜はうちの畑のを」
「こんな時でも 情報は入るから
安心だね*^^*」
「みんな一緒で
心細くないし*^^*」
「足が悪いから
助かるなぁ」
ってことになったかもしれない
※すんごい安直な妄想だけど( ̄▽ ̄*)笑
前記事で
備蓄対策は
「各家庭の備蓄」
だけではないかもしれない
と書きましたが
周辺の家の備蓄や
冷蔵庫の中身と
人数分の知恵を
寄せ集めたら
慌てて買いに走らなくても
何とかなっちゃうんじゃないかな?
一人じゃなければ
不安にもなりにくいし
多少の我慢もしやすいし
一緒に動けば
ガソリンも節約できるし
みんなの分をまとめて調理すれば
カセットコンロの燃料も
節約できちゃいますね
それから
物のやり取りと同時に
近隣情報も
入ってきました
「あそこからむこうの信号は
まだついていないよ」
「あそこのお店は○時までやっているって」
「ガソリン入れられるのは
○○だけだよ」
ってね
あってほしくはないけれど
もしまたこんなピンチがあったら
今度は迷わず
自分から周囲の人たちに
声を掛けようと
心に誓いました
私が普段からそのつもりで
ご近所付き合いをしていたら
あちらからも
災害に限らず
何かあったら
SOSを出してくれるかもしれない
わたしも
「どうしよう」って
相談しやすくなるかもしれない
そんなことに気付く
大事な経験にもなりました
悪いことばかりじゃないなぁ
明日も
ちょっと別な
「繋がる力」に
触れたいと思います
よろしくお願いいたします
今日もここまで
お読みくださり
ありがとうございました♡

北海道地震の被災地
関西など
台風21号の被災地
中国・四国など
西日本豪雨の被災地に
支援の心が
そして
あなたと
あなたの大切な人に
笑顔の輪が
広がりますように

舞
北海道胆振東部地震などの
災害から学んだことを
何回かに分けて
書かせていただこうと思って
綴っています
☆
一昨日の
地震後の停電のさなかの様子を
書かせていただきましたが → ☆
心の準備(今までのシュミレーション)よりも
備蓄よりも
テレビからの情報よりも
私にとって一番の力と学びになったのが
ご近所さん

だったと思います
一昨日書きましたように
我が家には
コンセント2口という
限られた
それでもとてもありがたい
電力がありましたので
ご近所さんに声を掛けさせていただきました
もっと早く気が付いていれば
カッコよかったのになぁ〜<(`^´)>笑
一昨日の様子は
そちらに書かせていただいたので
今日は別の角度から
人との繋がり
について
書きますね
☆
初めに
今回の地震のことではなく
もっと前のこと
大災害のことではなく
個人的に被災してしまった
友人2人について
エピソード紹介
させてください
≪エピソード1≫
昨年この地域が
暴風雨に見舞われたときのこと
大風と雨が収まってみると
我が家のフェンスが壊れてる

というハプニングがあったのですが
近隣地域の被害は
そんなものではなかったのです
大切な人の家や よく行く農家の産直の
納屋や プレハブ店舗などが
壊れてしまった
とか
国道を走っていたら
バス停や
バス停にセットである小屋が
寒さと雪に備えて?北海道にはよくあります*^^*
国道に
あるいは反対側に
歩道に
転がっていたり
転がったバス停数えたら
私が通った道沿いだけで18個!
しかしあの重たそうなのが転がるって!Σ(゚д゚lll)
そんな被害が
あちこちで見受けられたのですが
翌日会った友人が
なんとものんびりした調子で
「うちの屋根
飛んじゃったぁ〜」
・・・
って!!
? ? ?



へっ

のんびり言ってる場合じゃないんじゃ・・・

仮にその友人を
Aさんとします
Aさんはちょっと
おっとりのんびりした友人ですが
お友達がとっても多い人です
とっても優しいからね
穏やかなのに 熱いところもいいの♪
私とは
うちに泊まりがけで
飲みに来てくれる仲です
オールナイトはいたしませんよ*^^*
そういえば私が行ったことはなかったなぁ
その日からしばらくは
車で30分くらいの場所にあるご実家に行き
ご実家から出勤
その後
住む場所が決まって
勤務先の近くに戻って来ましたが
その時に
家財道具のあれこれを
いろんな人に
融通してもらえたとか
暴風雨の中屋根が飛んでしまったので
家の中は
当然水浸し
すべてダメになってしまっていたので
一新しなければならなかったのでね
いい関係の人が多いほど
励ましの声や
救いの手が
差し伸べられるんだなぁ
Aさんがコツコツと
積み上げてきた人間関係の
賜(たまもの)なのね

感心して
彼女を見ておりました

≪エピソード2≫
エピソード1よりも
もう少し前のこと
ある晩
枕元の携帯が鳴りました
0:30を過ぎた頃
私、そんな時間に電話を受けることなんて
ありませんよ〜( ̄▽ ̄;)笑
電話の向こうにいた友人
仮にBさんとします
Bさんがいきなり切り出しました
「今、うち、燃えてる」
? ? ?



はいぃ〜〜

寝ぼけていましたよ、私
寝ぼけていましたけど・・・
夢は見ていませんよ
ちゃんと起きていました
ってか
起こされていました
で、いきなり目がばっちり!覚めました(@_@)
何を言われているのか
わ・か・ら・な・い〜〜〜

なんと
貰い火事に遭ってしまったそうです
「今夜 寝るとこなくなっちゃった
泊めてもらえる?」
そりゃ〜
いくら真夜中だからって
焼け出された人を
「し〜らないっ」
ってするほど
薄情じゃありませんよ〜( ̄▽ ̄;)
こんな時に
独りにしちゃぁ いけませんっ!
(`・ω・´)
「もちろん! いつでも!! 何度でも!!!」
いや、何度でもはダメです!絶対!
こんなこと何度もあったら困ります!!
消火が済んで
警察かな?
事情聴取じゃなくって
なんて言うんだろう?
とにかく聞き取りも済んで
それから30分以上かけて
来ました

Bさんは
親しいけれど
我が家に来るのは初めてだったから
一緒にご飯食べたりはしてたけどね
それから私がお邪魔することもあったけどね
わかりやすいところまでお迎えに行ったのは
電話から3時間後
本当にお疲れ様でした_(._.)_
真夜中だったから
まずは身近な人から順に
電話をかけてみたそうです
最初に電話が通じたのが
私だったんだって
「ホテルに泊まることも
考えたけど
そっちの方が簡単だとも
思ったんだけどね」
「独りでいたら
ろくなこと考えないかもしれないから」
ってBさん
きっと大正解!
困った時に
ちゃんとSOS出せる人です
私だけじゃなくて
他の人も含めて
友人を
心から信頼しているから
自分のことも
信頼しているから
SOS
出せるのだと思いました
そうじゃなかったら
夜中に友人を起こせないよね
SOSの発信、私はちょっと苦手です
見習わなければ・・・
それ以来ますます憧れ

Bさんと1時間くらい話したら
「眠くなった」って
え?眠れる?
本当に眠っていました
めっちゃ心がタフでもあるのね
私なら無理だわ〜( ̄▽ ̄;)笑
Bさんは
翌日さっそく
仮住まいする場所と
1か月もしないうちに
転勤で家具がいらなくなるという同僚から
次に住む場所と
家具をそっくり譲り受け
そちらに移っていきましたが
やっぱり
友人が多いという強みが
困った状況を最小限にして
たくましく
復活していきました
そのしなやかな強さと人脈と行動力に
憧れます

☆
AさんもBさんも
個人的に被災してしまったのですが
ちなみにどちらも「お一人様」仲間♪
人と繋がる力が
最高の強みになって
困難を
いとも簡単に
・・・ではなかったのでしょうけど
あっという間に
クリアしたのでした
見せつけられた?お二人の
素敵な力

学ぶところは山ほどあって
人を大切にしようと
ますます思うようになりました
☆
もう一つ
私にとって大切な
エピソード(言葉)があります
約35年間
ずっと大切にしている
父が教えてくれた言葉
父は私が中学生の時に亡くなっていますので
今思えば
中学生の娘(私)に
意図を持って伝えてくれたことです
そんな大切なエピソードが
片手で数えられるくらいですがある
その中の一つです
「人はね
調子がいいときは
たいていのコトが
うまくいくんだ
問題はね
ピンチの時だよ
ピンチの時にどうするかで
その人の
本質がわかっちゃうんだ」
もうね
私の中で
ずっとずっと
何度も何度も
繰り返し
味わっている言葉です
たぶん父は
ここまでは言っていなかったと
思うけど
自分のピンチの時だけじゃなく
隣の誰かのピンチの時にも
あてはまる言葉
自分のピンチの時に
どうするのか
無限にある行動レパートリーの中から
何を選び取っていくのか
人は黙って見ているよ
自分も感じているはずだしね
これ、自尊感情に影響しますね
そして
大切な誰かのピンチ
隣の誰かのピンチ
そんな時も
どうふるまうのか
その人の本質が
一番表れてしまうから
自分の行動に
責任を持ちなさいね
そんなふうに
教えてくれたと
解釈しています
ピンチの時に
見事だった友人たち
ピンチの時は
そのふるまいだけではなく
自分が
何を大切にし
どう生きてきたかが
わかってしまう
それを実感
怖いような
でも
友人たちのように
今まで以上にリスペクトする
きっかけになったり
☆
今回
北海道中の人たちの
大ピンチでした
繋がる力が
いかんなく発揮されている人たち
繋がる力に
助けられた人たち
たくさんいると思います
私も
優しい声を掛けてくださる方が
いてくれたから
「独りじゃない」
って心強く
心を保てました
だからこそ
「近所に声を掛けよう」
という気持ちが
自然とわいてきたのだと
思います
「家族(子ども)が多い人
大変だろうな」
「お一人暮らしの
少し高齢の方
心細いだろうな」
気付くのは遅かったけど
気付けて良かった
実際声を掛けてみて
喜んでもらったり
ホッとしてもらったり
いざの時にその手があるのね!と
知ってもらえたり
今後もピンチの時に
この人がいるなと
思い出してもらえたらいいです
そんな自分でいられるのなら
すごく嬉しいと
今回のことを通して思いました
☆
そして
この3日くらいで
ゆっくり考えました
西日本はじめ近年の豪雨災害時
熊本・東北・中越・阪神淡路などの震災時
北海道にも火山があって
火山は日本中にありますけど
火山噴火で避難命令が出た時のこと
「今!避難所に行こうかどうしようか」
悩む人がいるわけですよね
住むところが
無くなってしまってからのことじゃなくて
危険が迫っていると知った段階のこと
震災時は
余震が収まりかけてきたと感じた時もそうですが
もしも知り合いが多ければ
避難所に向かいやすい気がします
でも
もしも
「避難所に行っても知り合いがいないだろうし」
と思ってしまったら
避難所は
わずらわしいことや不自由なことが多い
ストレスフルな場所と
感じてしまうのではないかしら?
ご近所さんに
「一緒に避難所に行きましょう」
って言われれば
「独りきりにはならないだろうな」
「頼りにできる人がいるなら
そちらの方がいいかな」
と思えるのではないかしら?
自分からよく知らない人に
または
自分が迷惑かけてしまうかもしれない
と思ったときに
「一緒に逃げて」って
言いにくいものじゃないかしら?
だから
元気な側から
動こうと思う側から
身軽な側から
「行きましょう」って
声を掛けないとね
「行きましょう」が
「生きましょう」に
繋がるかもしれないから
普段から
ご近所さんと繋がっている人ほど
ピンチの時に
当たり前に
人を想う行動が
できる気がしました
そして
ご近所さんと繋がっている人ほど
周りから声も掛けてもらえる
というのも
また事実だろうと思います
今回私が声を掛けさせていただいたのは
今まで私や息子に
優しい声を掛けてくださったり
助けてくださった方々
近所の「持ちつ持たれつ」が
あるところですね!
幸せな環境です
それなのに
私にはまだまだ
自分から繋がる力が
弱かった
無かったわけでは
ないと思うけど
声か怪我遅かった
ということは
繋がる力が足りなかった
もっと
ご近所さんと繋がる力を
磨かなければ
そう思いました
これじゃぁ まだまだ
父には
「それでいいよ」って
言ってもらえないナf(^^;)
☆
反省ばかりではありませんよ
発見もありました(^▽^)/

今回この地域の被害は
避難所に行こうか?
というレベルでは
なかったのですが
停電はもちろんあったけど
この微妙な頃合いの時に
我が家って
近所の防災拠点になれる

って気づいちゃった

もちろん個人宅だから限界はあるけれど
一人だから身軽
電気が使えるから便利
広さもそこそこあるから気兼ねが少ない
みんなが集まったら窮屈だけど
拠点にして出入りすれば大丈夫だと思う!
だけじゃないのです
ちょっと話はそれるけど
実はね
圧力なべでご飯を炊いてあげて
次の日の朝の分のお米も預かって
炊いておいた友人から
後半部分のエピソード、一昨日は触れなかったけど
圧力なべが返ってきて
パカッと開けると
中には
お米とチョコが

実は我が家の白米は
その日で使い切っていました
発芽胚芽米と発芽玄米があるから
大丈夫!
って思っていたんだけど
このお米は 助かる〜

70代の方々からは
それぞれ
ミニトマトは 撮影時 半分消費済み
もう、「エビで鯛を釣っちゃった〜」f(^^;)
って言う状態
ご飯の炊き上げまでいかず
一歩手前で断念した友達には
その後、土鍋ですぐに炊きあがった〜♪って言ってくれた( ̄▽ ̄*)
「冷凍庫のこれ、ダメになりそうだから
食べて〜」って
炊けなかったじゃん!

なんか申し訳なかったし
エビタイで いただいたものは
私一人じゃ充分すぎるから
梨とトウモロコシ(蒸したもの)を
半分おすそ分け( ̄▽ ̄*)笑
でね

特にお米をいただいて気が付いたのです
「うちには無くても
よそにあったりする、ね

って

もしもうちを防災拠点にしていたら・・・
※ここからは妄想です( ̄▽ ̄*)笑
「わぁ、お米足りない

「うちにあるから、持ってくるよ〜

「せっかくあるのに
融けちゃったらダメになるお肉
焼いてみんなで食べちゃおう


「それならうちにもあるある!


そんな緊急時に焼き肉パーティーしていい?笑
「果物はうちからね」
「じゃあお野菜はうちの畑のを」
「こんな時でも 情報は入るから
安心だね*^^*」
「みんな一緒で
心細くないし*^^*」
「足が悪いから
助かるなぁ」
ってことになったかもしれない
※すんごい安直な妄想だけど( ̄▽ ̄*)笑
前記事で
備蓄対策は
「各家庭の備蓄」
だけではないかもしれない
と書きましたが
周辺の家の備蓄や
冷蔵庫の中身と
人数分の知恵を
寄せ集めたら
慌てて買いに走らなくても
何とかなっちゃうんじゃないかな?
一人じゃなければ
不安にもなりにくいし
多少の我慢もしやすいし
一緒に動けば
ガソリンも節約できるし
みんなの分をまとめて調理すれば
カセットコンロの燃料も
節約できちゃいますね
それから
物のやり取りと同時に
近隣情報も
入ってきました
「あそこからむこうの信号は
まだついていないよ」
「あそこのお店は○時までやっているって」
「ガソリン入れられるのは
○○だけだよ」
ってね
あってほしくはないけれど
もしまたこんなピンチがあったら
今度は迷わず
自分から周囲の人たちに
声を掛けようと
心に誓いました
私が普段からそのつもりで
ご近所付き合いをしていたら
あちらからも
災害に限らず
何かあったら
SOSを出してくれるかもしれない
わたしも
「どうしよう」って
相談しやすくなるかもしれない
そんなことに気付く
大事な経験にもなりました
悪いことばかりじゃないなぁ
明日も
ちょっと別な
「繋がる力」に
触れたいと思います
よろしくお願いいたします
今日もここまで
お読みくださり
ありがとうございました♡

北海道地震の被災地
関西など
台風21号の被災地
中国・四国など
西日本豪雨の被災地に
支援の心が
そして
あなたと
あなたの大切な人に
笑顔の輪が
広がりますように

舞