我が子への言葉がけ
とりあえずしているけれど
これでいいのかな
もっとじょうずになりたいな
そんなふうに思う人
多いと思うのですが
いかがでしょう
☆
わたしが特別うまいか
と言ったら
胸を張って
イエス
という自信はないのですが
それでも
息子の友達が
わたしと息子のやり取りを見て
「いいなぁ
いつもこんななの?」
と羨ましがって言い
息子も
「そうだよ〜
」
と笑顔で言っているところをみると
少なくとも子ども目線で
「こんなお母さんがいいな」
と思ってもらえているらしい
もちろん親ですから
注意叱責は
必要に応じてしますけれど
言われたその場では
息子くんも
すねたりへこんだりしますけれど
それでも時間がたてば
「お母さんは当たり前のことを言っているから」
と素直に受け入れている
息子くんは
年齢のわりに素直だな
と思います
もともと持っている気質のお陰でもありますが
わたしが心がけていることもあります
ちょっとエラそう
かな
と思いつつ
一筋縄ではいかない子育ての
ヒントになれば・・・
☆
よく
「子どもは神様からの授かり物」
と言われます
大きく反論するつもりはないのですが
わたしはむしろ
「子どもは神さまからの預かり物」
と思う方がいいなぁ
と思って
息子が生まれた時から
「神様から預かった子」
という気持ちで
子育てして来ました
☆
どう違うかというと
一番大きな違いは
「授かりもの」=「もらったもの」
という感覚になるので
子どもは「自分の所有物」
という感覚になりやすいのです
だから
とっても大切な存在のはずなのに
結構ぞんざいな口調になってしまう
そんなお母さんが多い気がします
実際
「その言い方、他のお子さん
例えばお子さんのお友達に
同じように言えますか?」
とお尋ねすると
「できます」
とおっしゃるかたは
ほとんどいらっしゃらないのです
今この文章をお読みの
あなたは
他のお子さんにも同じように
我が子とおはなししていますか?
☆
「神様からの預かり物」
と考えるのは
「預かり物」は「お返しする物」
つまり
「自分の所有物ではない」のです
たとえば
どなたかにお借りした本は
ページが折れたりしないように
大切に扱います
うっかり破いてしまったり
コーヒーをこぼしてしまったら
青くなります
もしその本が
自分の所有物の本なら
おそらく
残念とは思っても
青くはならず
しかたないな
と思ってしまいます
預かり物は
自分のものより
大切に扱うはず
だから
「神様からの預かり物」
20年前後預かり
社会に出すことを通して
神様にお返しするのです
つまり
社会に一人で出て行き
世の中のお役にたてる子に育てるのが
父親と母親の務めなのです
自分の所有物である子ではなく神様の子
そう思うと
ちゃんとリスペクト(尊重)しなければなりません
尊重するつもりでおだてて育て
自分よがりの自己満足でいっぱいの子でも
自分は一番の子でも
困ります
社会でスムーズに受けいられる人とは
言えませんから
どのくらい尊重するのがいいか
その線引がムズカシイ
そこで目安にしているのが
「よその子にも同じように言えるか」
なのです
よその子は所有物扱いできませんから
ちゃんとリスペクトしていると思います
甥っ子や姪っ子
友達の子ども
ダメなことをしたら
注意はすると思います
でも
言葉は最大限
選ぶでしょう
大切な我が子ですから
心を傷つけたくないと思います
ですから
叱る時もなじったりしないで
言葉を選んで
愛情とリスペクトを練り込んだ言葉を
是非使ってくださいね
☆
そのように育てて
思いがけずいいことがありました
息子が友達に掛ける言葉は
わたしに似ているのです
お友達との会話をふと耳にする時
「優しい」言葉を使っています
後輩に
「先輩は言葉がきれい」
と言われていたのも耳にしました
小さな積み重ねを
18年
ちゃんと届いていたなと
思います
☆
子育て講演などすることがあり
「子どもは神様からの預かり物」
と言うと
大きく頷いてくださるかたもいらっしゃる反面
「なにそれ」と言わんばかりに
笑う方もいらっしゃいます
ちょっと突飛な考え方なのかもしれません
あなたはどのように感じられますか?
我が子への思いは
人それぞれですし
正解もありません
あくまでも私個人の考え方でした


あしたも
笑顔の輪が広がりますように

とりあえずしているけれど
これでいいのかな
もっとじょうずになりたいな
そんなふうに思う人
多いと思うのですが
いかがでしょう
☆
わたしが特別うまいか
と言ったら
胸を張って
イエス
という自信はないのですが
それでも
息子の友達が
わたしと息子のやり取りを見て
「いいなぁ
いつもこんななの?」
と羨ましがって言い
息子も
「そうだよ〜

と笑顔で言っているところをみると
少なくとも子ども目線で
「こんなお母さんがいいな」
と思ってもらえているらしい
もちろん親ですから
注意叱責は
必要に応じてしますけれど
言われたその場では
息子くんも
すねたりへこんだりしますけれど
それでも時間がたてば
「お母さんは当たり前のことを言っているから」
と素直に受け入れている
息子くんは
年齢のわりに素直だな
と思います
もともと持っている気質のお陰でもありますが
わたしが心がけていることもあります
ちょっとエラそう
かな
と思いつつ
一筋縄ではいかない子育ての
ヒントになれば・・・
☆
よく
「子どもは神様からの授かり物」
と言われます
大きく反論するつもりはないのですが
わたしはむしろ
「子どもは神さまからの預かり物」
と思う方がいいなぁ
と思って
息子が生まれた時から
「神様から預かった子」
という気持ちで
子育てして来ました
☆
どう違うかというと
一番大きな違いは
「授かりもの」=「もらったもの」
という感覚になるので
子どもは「自分の所有物」
という感覚になりやすいのです
だから
とっても大切な存在のはずなのに
結構ぞんざいな口調になってしまう
そんなお母さんが多い気がします
実際
「その言い方、他のお子さん
例えばお子さんのお友達に
同じように言えますか?」
とお尋ねすると
「できます」
とおっしゃるかたは
ほとんどいらっしゃらないのです
今この文章をお読みの
あなたは
他のお子さんにも同じように
我が子とおはなししていますか?
☆
「神様からの預かり物」
と考えるのは
「預かり物」は「お返しする物」
つまり
「自分の所有物ではない」のです
たとえば
どなたかにお借りした本は
ページが折れたりしないように
大切に扱います
うっかり破いてしまったり
コーヒーをこぼしてしまったら
青くなります
もしその本が
自分の所有物の本なら
おそらく
残念とは思っても
青くはならず
しかたないな
と思ってしまいます
預かり物は
自分のものより
大切に扱うはず
だから
「神様からの預かり物」
20年前後預かり
社会に出すことを通して
神様にお返しするのです
つまり
社会に一人で出て行き
世の中のお役にたてる子に育てるのが
父親と母親の務めなのです
自分の所有物である子ではなく神様の子
そう思うと
ちゃんとリスペクト(尊重)しなければなりません
尊重するつもりでおだてて育て
自分よがりの自己満足でいっぱいの子でも
自分は一番の子でも
困ります
社会でスムーズに受けいられる人とは
言えませんから
どのくらい尊重するのがいいか
その線引がムズカシイ
そこで目安にしているのが
「よその子にも同じように言えるか」
なのです
よその子は所有物扱いできませんから
ちゃんとリスペクトしていると思います
甥っ子や姪っ子
友達の子ども
ダメなことをしたら
注意はすると思います
でも
言葉は最大限
選ぶでしょう
大切な我が子ですから
心を傷つけたくないと思います
ですから
叱る時もなじったりしないで
言葉を選んで
愛情とリスペクトを練り込んだ言葉を
是非使ってくださいね
☆
そのように育てて
思いがけずいいことがありました
息子が友達に掛ける言葉は
わたしに似ているのです
お友達との会話をふと耳にする時
「優しい」言葉を使っています
後輩に
「先輩は言葉がきれい」
と言われていたのも耳にしました
小さな積み重ねを
18年
ちゃんと届いていたなと
思います
☆
子育て講演などすることがあり
「子どもは神様からの預かり物」
と言うと
大きく頷いてくださるかたもいらっしゃる反面
「なにそれ」と言わんばかりに
笑う方もいらっしゃいます
ちょっと突飛な考え方なのかもしれません
あなたはどのように感じられますか?
我が子への思いは
人それぞれですし
正解もありません
あくまでも私個人の考え方でした

あしたも
笑顔の輪が広がりますように
