2019/09/20 10:00
こんにちは、サンキュ!ブロガーのmaruwa★taroです。

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https://39.benesse.ne.jp/blog/1854/


5日目の今日は、最終回。
「その後の家族の形」
のタイトルでお送りします。


できましたら、
1日目、2日目、3日目、4日目の記事にも
お目通しくださいませ。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


たったの5か月間ではありましたが
この期間は手を抜かずに仕事をこなしました。

「そこまでしなくても良い」と言われていましたが
すべて必要なことだったので
やっていたまでのことなんです。

その結果
私は心身共に許容量を超え
パンクしてしまい
義母の介護から手を引きました。



この5か月間は本当にしんどかった。
とっても苦しかった。
そして、家の中に理解者がいなかったこと。


このまま続けていたら私は
『介護うつ』
招くことになったことでしょう。


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


私が手を引いた後の義母の介護は
夫が引き継いでいます。

でも、今では夫もあの時の私のように
苦悩しています。

少し時間はかかったけど
あの時の私の苦しさに気付いてくれたことで
私たち夫婦の気持ちの整理を
つけることが出来ました。


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


頑張ることは良いことだけど、
頑張りすぎることはよくないこと。


私はきっと、
頑張りすぎてしまったのです。


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


現在の私はと言うと・・・

胸の痛みもほぼなくなり、
蕁麻疹で荒れた手もきれいに治り、
ボロボロにななった顔も
血色良く戻りました。
難聴の症状も出ていません。



夫とは今後のことを
何度も何度も話し合いました。

一人ですることがどんなに辛いことか。
理解してもらえないことがどんなに苦しいことか。

お互いが分かった今、
助け合って、支えあってやっていこうとなりました。


190920.jpg


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


我が家の場合、私の場合は
以上のようなことでございました。



一番最初に書いた介護のブログの中で
『笑顔になれる介護』と記載しています。


相手が笑顔になるだけじゃなく、
自分も周りも笑顔になる介護。

私は『笑顔になれる介護』を
目指していたんだと思います。



今は、義母の食事の用意ぐらいしかしていませんが
また少しづつ朗らかになるような
生活を営んでいきたいと思います。


IMG_20180718_234618.jpg



以上、5日間お付き合いくださり
本当にありがとございました。


maruwa★taroより。
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2019/09/19 10:00
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4日目の今日は、
「蓄積されていくストレスと心の糸」
のタイトルでお送りします。


できましたら、
1日目、2日目、3日目の記事にも
お目通しくださいませ。


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


初めは、覚悟をもって始めた義母への介護も、
毎日、毎日、
自分の時間を犠牲にしてやっていると、

何とも言えない気持ちとなっていきます。


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


今は、義母の介護から離れています。

それは、私が壊れてしまったからです。



身体が悲鳴を上げ始めていたのは、
介護を初めて2か月くらいたったころ。

急に息苦しくなり、
深い呼吸をすると胸が苦しいのです。

息ができない。
刺すような痛み。

当初は、心臓の病気かと疑いました。

でも、診断の結果は
心電図・レントゲンに異常なし。

結果は、心的なもの→ストレスである
と、言われました。
薬も処方されました。

薬は抗不安薬でした。

ストレスが薬で治るのか
疑わしく思っていたのですが
飲んでみると、深い眠りにつけ
翌朝気持ちがスッキリしたように感じ
胸の痛みも取れたのでした。

でも、薬の効き目は一時的なもの。

また、あの痛みがぶり返してくるのです。


朝起きて、介護をする1日が始まると思うと
あちらこちらがかゆくなります。
手には蕁麻疹が出て
みるみる荒れていきました。

耳管開放症が再発し、
難聴にもなりました。

そんな感じの体調で、
数か月過ごしていました。


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


そして、私が壊れるきっかけとなる事件
いきなり起きました。


ヘルパーのミスとミスが重なり
私の洗濯物と義母の洗濯物を
一緒に回されてしましました。

なぜ、こんなことが起きたのか?
パニックになりました。

理由は、ヘルパーが気を利かせすぎたのです。

前日の入浴後の脱衣類を
ヘルパーが洗濯機に放り込みました。。

その当時、我が家には洗濯機が2台あり
そのうちの1台は我が家が使用していたもので、
その中には、私の服が入っていました。
その中に突っ込まれてました。

翌朝、ヘルパーが義母の服が入っていたからと、
私の留守中に洗濯機を回してしまいました。

帰宅後に、ヘルパーから
「隣の洗濯機も回しておきましたよ」

「?????」
すぐに事情は飲み込めませんでした。

「うそでしょ〜っ!!」
私の慌てた様子にヘルパーは
すぐに洗濯機を止めに行き、
洗濯機の中から義母の衣服を取り出しました。

そのあと、残していった言葉は
「あとは好きにしてくださいね」


私は茫然となりました。


今まで張りつめていた糸が

・・・プツリ・・・



我慢できなくなって、
車の中へ逃げ込み泣きました。

でも、この気持ちを一人では抱えきれなかったので
夫の職場(自営業です)へ行き、
事情を話しました。

その時返ってきた言葉は、
「俺にどないしろというねん。」


私は愕然となりました。


感情の糸が

・・・プツリ・・・



夫だけは理解してくれると思ったのに、
このような言葉で突き放されてしまっては、
もぅ、どぉして良いのか
わからなくなってしましました。


泣きまくりました。
こんなことで泣くなんて
大人げないと思います。
でも、この時の感情は抑えられなかったのです。


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


夫も夫の妹たちは、
私がなぜこのように泣いたのか?

「洗濯物を一緒に回されたぐらいで泣くなんて・・・」

理解するよりも先に
気持ちが動いてしまっているので
このことに関して嫌悪感を抱いていたそうです。

でも、その洗濯物はおしっこで汚れているんですよ。
たまに茶色いものも付いてるんですよ。
そんな洗濯物といっしょに回されたんですよ。

それでも、理解できませんか?


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


私はもう、限界です。

これ以上は、私にはできません。


190919.jpg


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


夫に、これ以上できないことを伝え、
私がやってきた仕事内容をすべて伝えました。

最後には、こう言葉を残しました。

「あなたは仕事をしながらするので大変だと思います」
「でも、そのしんどさは私の心労だと思ってやってください」


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


あれから3か月が経ちました。

私がしていたことは、
夫や夫の妹たちがしてくれています。

なぜ、私がやっていた時には
あまり手を貸してくれなかったのに、
今となってはできるのでしょう?

正直、モヤモヤどころかイライラします。
あんなに苦しんでいたのに。
サインも送っていたのに。。。


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


夫は自分でやるようになってから
やっと私のことを理解し始めました。

「あの時、手伝ってやれなくてごめんな」

時間はかかったけど、
理解してもらえて
私の心は少しだけ軽くなりました。




明日は、最終回です。
「その後の家族の形」
のタイトルでお送りします。

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2019/09/18 10:00
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3日目の今日は、
「介護って何をするの?」
のタイトルでお送りします


できましたら、
1日目、2日目の記事にも
お目通しくださいませ。


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


当時、taroがやっていたことは


・朝ごはんの用意、提供

190918.jpg


和食を中心に用意していますが
甘いものが大好きな人なので
パン食のほうが好みのようです。

・服薬確認、下膳
・洗濯物を干す

・昼食後の服薬確認、下膳

・週2回のお風呂の準備

・洗濯物をたたむ

・夜ご飯の用意
(宅配ご飯を温める)
・服薬確認、下膳
・トイレを行くように促す

・就寝前にトイレと歯磨きをするように促す
・陰部、臀部への薬を塗布
・着衣が汚れている場合の着替え
・寝床に入るまで見届ける


この中でやっぱり辛いのが
下のお世話でした。


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*

もちろん、介護をしながら
自分たちの家族のことだってあるんです。
だから、実際の仕事量はもっと多いです。


こんな内容を5か月間続けていました。



毎日毎日続けていると、
さすがに不満がたまっていきます。

義母のお世話に時間を費やしているので、
自分の時間が持てないことがつらい。

フェルト作業やそのほかのことをしたいのに
できない不満。

時間も制限されるので
遊びに行きたいのにいけない不満。

疲れて眠いのに
義母のことをしなければいけないので
休めない不満。

その他にもある小さな不満もたまっていくと
次第には、身体が悲鳴を上げ始めていたのでした。


IMG_20190511_003827.jpg


明日は、 「蓄積されていくストレスと心の糸」
のタイトルでお送りします
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2019/09/17 10:00
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今週一週間は、私maruwa★taroが
[介護]をテーマに
書かせていただいております



2日目の今日は、
「突然それは始まった」
のタイトルでお送りします


※この内容は、
ブログ「義親の介護を任された!?」と
重複する部分があります。






まず、このドタバタ劇が始まったのが
今年の1月1日のことでした。

娘にお年玉を上げようと
家を出たところ、坂道でバランスを崩し転倒。

痛みのため、動けなくなりました。

その後、診察をしてもらった結果は
「腰椎骨折」全治2か月。

けがの回復のためには、安静第一。
誰かが生活のサポートをしなければいけません。


さて、ここで問題です。

誰が面倒を見るのでしょうか?


同居していた義妹は
昨年11月に結婚して家を離れたため
義母はこの時、ほぼほぼ一人暮らし状態です。
(※ほぼ毎日通いで食事の用意をしに来ていました)

私たち家族は、別に住んでいたものの
母屋と離れ(徒歩30歩)の距離だったので
一番近くにいる身内です。

となってくると・・・
私たち家族が面倒を見るというのが
自然な流れでした。


のちに【要介護3】の認定を受け
ヘルパーの手を借りることができました。

この認定は、ただ骨折して動けないから
認定を受けたわけではありません。

骨折の診断の際、
義母の様子を見た先生から
他の病気の疑いがあるので
診察を受けたほうが良いと言われました。

その結果、骨折以外にも、
深刻な問題があったのです。


それが、パーキンソン病水頭症認知症でした。


パーキンソン病水頭症はともに脳の病気です。
発症したきっかけは、
知らない間に小さな脳梗塞を何度も繰り返していたために
おそらくこれが原因で
脳に影響を与えたものということでした。

パーキンソン病は、
運動機能に障害が現れる病気で、
「手足が震える」「動作が遅くなる」といった症状が特徴です。
義母の場合は、
歩こうとしてもなかなか足が前に出せなかったり、
歩行が小刻みになったり、
急に歩行が止まったりしていました。
ペンギンのようなよちよち歩きなんです。

水頭症は、
脳に水(膵液)がたまっていく病気です。
この病気は、パーキンソン病と似ていますが
特徴的なのが尿失禁です。
この診断を受ける前から、
すでに尿失禁の症状があり、
オムツをつけていました。
(お世話するまでオムツをつけているなんて知りませんでした)

また、2つに共通する症状の1つが認知症です。
義母の場合は、物忘れもその1つです。
今さっきおやつを食べたことも忘れてしまい、
再びおやつを催促することもありました。
数がきっちり数えられなくなっていました。
(お金の計算ができない)

娘のために用意してくれていたお年玉も、
最後まで用意できずに、
机にお札が散らばったままでした。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


昨日書いたお話を思い出してください。
(まだ読んだいない方は、ぜひお目通しくださいませ)

・歩き方がおかしい
これって、まぎれもなく、
パーシンソン病や水頭症の症状です。

・ごみの出し方がおかしい
認知能力の低下のために、判断できなくなって
分別ができなくなったものだと思われます。

・些細なことで激昂する
怒りやすくなるもの、認知症の症状の1つです。

ボケーっとしているもの、
ふらふら何のあてもなく外に出てしまうことも、
これに当てはまるかと思います。



思い返せば、昨年3月のこと

「これって、認知症かも?」と
当時中学3年生の娘と話していました。
でも夫に伝えても
「お前の母親がボケている」と
変に解釈されそうで、
ずっと言えずにいました。
この時、どのように思われてでも伝えていれば、
現状が少し変わっていたのかもと思うと、
実に悔やまれます。


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


今まで、小さな変化に気づいていたのにも関わらず
「年のせい」とほったらかしにして
見て見ぬふりをしてきていました。

もっと言えば、
「関わればめんどくさいことになる」
そんな風に思っていたのも事実です。

できることなら、
めんどくさいことは願い下げです。

でも、すべてを知ってしまった以上は
避けては通れません。


この時は、ある程度の覚悟をもって
介護に向き合おうと思っていました。


でも、現実って厳しいことを
後に痛感するのでした。


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明日は、「介護って何をするの?」
のタイトルでお送りします

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2019/09/16 10:00
こんにちは、サンキュ!ブロガーのmaruwa★taroです。

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この度、3回目となりますが
またまた
Dailyサンキュ!にお邪魔しております。

いつもならば
ハンドメイドについて書いているのですが
今回は我が家の家庭のお話

【介護】について
書かせていただきます。



なぜ、私taroが介護ネタなのか・・・・

そのいきさつにつきましては
まずこちらをご覧くださいませ。







との、ようなことでございました。



介護って・・・
簡単じゃないよね。
しんどいよね。
苦しいよね。
何かが壊れていくよね。

これからお伝えすることは
経験した人にしか共感してもらえないかもしれません。


ですが、介護って言うのは
家族がいるならば
絶対に素通りできないことなんです。

TVで流れる、たまに耳にする痛いニュース
【介護疲れで家族を殺めてしまう】なんてこと
以前は、まったく理解できなかったけど

今なら、少しわかります。

そんな、taroが経験したお話を
ちょっと聞いて行ってくださいな!


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


今日のタイトルは、
「何かおかしいと思ったとき」


実は2年ほど前から
義母の様子がおかしいと感じていました。

・まず1つ目は、ごみの分別がおかしい

とってもきっちりしている人だったので
「あれっ?こんなところにこんなごみ捨てないよね?」
「ごみの分別が雑になってるような気がする。」

今思えば、これが異変の第一歩だったような気がします

この頃は、義母とは別居しており
義妹が同居していたので
何か気になっても、深く干渉はせず
私たち家族は[つかず離れず]でおりました。


・2つ目は、歩き方がおかしい

「taroちゃん。私歩き方おかしいって
近所の人に言われたんやけど、どない?」←義母

「そんなことないですよ!!」
「たまたま、そんな風に見えただけじゃないですか?」←taro

これ、本心ではありません。
完全に義母への忖度発言です。

もし、「おかしい」なんてことを言ってしまったら・・・
ものすごく怒ることが容易に想像できたので
ウソをつきました。

この時あたりから、
歩き方がペンギンのようになっていたかと思います。

でも、そんな歩き方になるのは
腰が悪いから。年のせい。
そんな風に思っていたのでした。



・3つ目は、些細なことで激昂する

いろんなことを思い出しますが、
例えば、あちらの好意を断った時なんかは
こちらがとてつもなく悪いことでもしたかぐらいに
プンスコ怒られました。

「あんた!せっかく持って来てやったのに
そんな風に言わんでもええんやないの!!」

(※その行為が逆に娘を困らせることになるので
その旨を伝えたうえで断っているんですけどね)


そのほかにおかしいと思ったことは、
夜暗いのに電気も付けずボケーっとしている。
夜も暗く遅い時間帯なのに、
外に出てふらふら歩いている。
数日間、新聞がポストに入ったまま。

などなどでした。

190916.jpg



義母は当時まだ70歳。

年齢的に衰えが出てきてもおかしくはありません。
ですが、「老人」というくくりには入るけど
その中でも、年齢的にはまだまだ若いと言えます。


だから、taroがこの時感じたのは
薄っぺらな異変かもしれません。
大した事ないと思っていました。


でも、これらの行動がすべて
実は病気の予兆だったのでした。


明日は、 「突然それは始まった」
のタイトルでお送りします。
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